May 05, 2012

ウミガメの還る海岸をもたらした人は

1336161353038.jpg

 みさきの家へ遊びに来てくれた友成さん、坂東さんと、歩いて数分の海岸へ行き散策した。
「ゴミ一つない海岸ですね。」といわれたが、これは、自然にそうなっているのではない。

 みさきに滞在するようになって間もない頃、早朝に海岸へ出ると、何人かの方々が手分けしてお掃除をしておられた。その中の中心的な人物である森谷淵さん・香取さんご夫妻と、朝のあいさつを交わして、以下のようなことをうかがった。

 この海岸は、豊かな自然が残っていて、ウミガメが産卵にくる世界でも珍しい場所。日本のウミガメ産卵地としては北限であること。

 土建王国千葉にあっては、豊かな海岸線の自然は、内房においてはほぼ完全にコンクリートで覆われてしまっていること。外房は内房に比べればまだよいが、土建業とそれに結びついた政治屋たちは、ちょっと気を抜くと、安全とか護岸とか観光資源だとか言い立てて、土木工事をしようとするので、油断できないこと。

 その中で、この日在(ひあり)海岸は国定公園にも指定されており、県も手をつけることができず、なんとか開発に名を借りた環境破壊を食い止められていること。
 
 しかし、夷隅川の上流から自然や住宅が排出する倒木・ゴミが流れてきて堆積し、その量は凄まじいものであること。心ない人々が、乗り物を持ち込んで傍若無人に走り回り、ウミガメを脅かしたり、産卵後の卵をダメにしてしまったり、飲食をしてゴミが放置されていること。

 ゴミは残されたままでは、人々はますます海岸を汚すことに無頓着になるし、なにより、繊細な生き物であるウミガメの生存を脅かすこと。例えば、発泡スチロールの細片などは、ウミガメがエサとまちがえて食べて死んでしまうことがある。

 お二人は、リタイヤ後、この地に居を移され、以来、ウミガメの研究をされつつ、毎朝、日の出とともに海岸にでて、清掃をしておられること。

 そんな風にして、森谷さんご夫妻と知り合ってすでに5年近くが経つ。

 今回、みさきに滞在して、森谷さんのご主人が亡くなったと、聞いた。
 3月6日のことだったという。

 ほぼ1年前に肺がんが発見され、その時期すでにⅣ期で余命1年と告げられた。

 入院治療は望まない、とおっしゃって、その後も、ずっと海岸の清掃とウミガメの研究を続けられていた。

 その後、会うべき人には会ってご挨拶をされた。ご自身の病気のことは告げずに。
 私たち夫婦にも、そのつもりで挨拶をしたことがあったと思います、と奥様がおっしゃった。

 ウミガメに関する最後の論文を奥様との共同名義で学会誌に発表された。
 その学会は、3月のはじめに開催され、喜んで出席されたという。

 桜が開花する前、奥様をお近くに呼ばれて「自室の窓から見える桜は、今年は見ることはかなわないだろう」ということをおっしゃったそうだ。奥様は、ご主人が頭脳明晰で、トイレにも自身で行かれるなど、あまりにしっかりとしておられたので、真剣に取り合わあなかったことを悔いている、とのことだった。

 学会から数日を経て3月6日、様態が急に思わしくなくなり、往診された医師に入院を勧められ、初めて入院することに応じられたという。

 東京のがんセンターの緩和ケア病棟に運ばれたが、その間も、救急隊員に、救急車内で測定されたさまざまな数値を尋ねられるなど、意識はしっかりしておられたそうだ。
 
 入院された後、医師の診断を受け、しばらく休まれた後に、大きく息を三回されて、旅立たれた。
 入院時間は、10数時間にすぎなかった。

 お悔やみにうかがって通していただいたご主人の部屋で、奥様から、そんな話をうかがった。

 うかがって、玄関で奥様のお顔を見てから、辞去するまで、僕は、ほとんど何もしゃべることができなかった。口を利くと、堰が切れて、涙が止まらなくなりそうだったからだ。

 淵さんは、私たち夫婦にも1通の封筒を遺して下さっていた。
 中には、ご自身の、そして奥様との共同の論文が掲載された学会誌。
 そして、お二人が海岸でボランティアのお仲間と写っているポストカード。

 カードには、リタイア後、約20年間を充実して過ごせたことは奥様のお陰であるとの感謝のことば。
 この地で、大勢の人と知り合えたことは幸せだった、との我々を含む知人たちへのメッセージ。
 そうしたことがプリントされ、自筆でサインがされていた。

 淵さんは、僕たち夫婦にとって、海辺ぐらしの先生だった。

 まだまだ閉鎖的だった20年前に、この土地に来られた。
 口さきで環境保護をいうだけではなく、まず、自分たちが体を動かして海岸をきれいにすることを始められた。メディアに情報提供をして、仲間を増やし、最後には行政や政治を動かし「ウミガメ監視員」という制度まで発足させた。

 今ではボランティアでは処理しきれない大量の流木・粗大ごみをどう処理するか、ウミガメが産卵した場合には、誰がどうやってその卵を保護するか、などの仕組みもできあがった。さまざまな思惑からの妨害も沢山あったようだが、かつて起こったひどいできごとに憤る奥様を、いつも穏やかになだめておられた。

 いつもおしゃれ。LLビーンのウエアを着て、デジカメと携帯電話を首に、肩には観察と清掃に必要な資材一式(だと思う)を入れたトート・バッグをかけて、背筋を伸ばして海に向かっておられた。

 人間関係に踏み込み過ぎない。
 下の世代にもいつも敬意をもって接する。
 ことばだけでなく、持続的な行動で、範をしめす。

 教わったことは限りがない。

 あまりにお元気だったので、勝手に、これからも、何回でもお会いできて、いろいろなお話がうかがえると思い込んでいた。このGWにも、夏の暑い盛りにも、お宅へ伺って、この土地のことだけではなく、若くして携わられたフクシマの発電所のことなどもお聞きできると、決めつけていた。。

 うかつだった。本当に。

 でも、最後に、本当にお見事な生き方、死に方を見せて下さった。
 お手本にします。

 法名 釈亀淵 享年79歳

 心からご冥福をお祈りいたします。

1336102502027.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 02, 2012

2012年 GW あったこと

1335909000406.jpg

28日(土)
10時 読み書きクラブ第二期の初会合
13時30分 野口体操
18時30分 井の中 帰りに牛肉の塊をお土産にいただく。

29日(日)
朝 みさきへ
午後 大原の辻家でバーベキュー
そのまんま泊

30日(月)〜2日 みさき在 整理整頓・3日の人寄せの準備にいそしむ
3日(木) 荒天の中、来客 手作り料理をふるまう
4日(金) 中村さんの芳香整体 夜、Asliへ徒歩で往復
5日(土) 池谷の父母、妹、准介、ラムジ来
 一日早い准介の誕生日祝い。

6日(日) 自分だけ電車で帰郷 夜、政義さんに会う

 たくさん読みたい本、見たい映画があったが、ほとんど料理と片付けに終始。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 24, 2012

Shinin' You Shinin' Day

 我が家のベランダには、ときどき、隣のIさんちから、猫のカイくんが、防火壁を乗り越えてやってくる。昨日は、みさきの家から持ってきた桜の枝のはっぱを食べていた。
 メイは、鼻がわるいのか、関心がないのか、なかなか気づかない。

1335214835995.jpg

 一晩たって、今日は快晴。
 街中の埃が昨日の雨で洗い流されて、樹木は神々しいほどに輝く。
 新鮮な空気の中を歩いていれば、そこが楽園だ。

1335214850749.jpg

 こんな朝には、思い出のこの曲を(おまけ付き)


| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 21, 2012

詩になる目次

1334961694842.jpg

 読み書きクラブ第2期の立ち上げのためのミーティング。
 御茶ノ水の「ナポリの下町食堂」で。

 あれやこれや話しているうちに、ゆるやかにテーマを決めて、それを「お題」にして書いてくるのがいいのではないか、ということになりました。句会の作文版みたいなものか。
 そして、指導者である管啓次郎くんに、お題出しをお願いする。
 いずれ、本にしたときに、目次がそのまま「詩」になっているようにしてくれと、みなで好き勝手なお願いを。

 みんなが飲み食いしている脇で、黙々とモレスキンに向かっていると思ったら、ちゃんと要望に答えてくれた。すごい!

 また1年間、楽しくやりましょう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 12, 2012

雨の日の本屋とカフェ

1334181457951.jpg

 僕の依頼者の中で、もっとも「大物」のAI先生のところでの打ち合わせが終わって、以前から行きたかった、スイッチ・パブリッシングのビルの地下のカフェへ。

 片岡義男さんの命名になる渋い看板、居心地のよすぎる空間。

 店長の林下さんと、片岡さんのこと、菅くんのこと、すこしお話をし、すでに入手困難なコヨーテのジェリー・ロペス特集を、特別に譲っていただく。イェイ。

 コーヒーの片岡義男ブレンドを飲まねば、と思ったが、時間はちょうど6時前。
 もうこの日は仕事がない、ということで、ワインにしてしまいました。

 また来ます。


| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 10, 2012

獲りたてトマトをおねだりする

1334010657739.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

旅立ち

1334008778885.jpg

 家族の卒業旅行から、ほぼ一ヶ月。
 本当に子どもたちは卒業して、私たち夫婦はすっかり肩の荷をおろした。
 司法修習生1年目に准介が、2年目に早紀がうまれ、それなりに大変ではあったが、こうして元気なうちに子育てが終わるのは、らくちんだ。

 准介は音楽やアートの世界で活動するべく、人脈を広げ始めた。
 早紀は、グアムの会社にインターンで勤め始めるべく、成田から旅立っていった。

 私たち夫婦は、ふたりとメイの生活になった。
 これからいろんなことを削っていこう。
 生活をシンプルにするのは、とても気持ちのいいことだ。
 溜め込んだ、モノも知識も経験も、世間にお返して、最後は桜の樹の下で、おいしいお酒と水を飲みながら、僕の人生を彩ってくれたさまざまな、人や物や事に思いを馳せるだけにして旅立とう。
 
 夜桜を妻とながめつつ(もちろん酒・肴つき)、そんな思いを新たにした。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 04, 2012

獲りたていちご

1333526138379.jpg

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 14, 2012

チェルノブイリ——家族の帰る場所

1331691894607.jpg

3月10日(土)の夜遅くに帰国

帰ってくると管啓次郎君の新しい訳書『チェルノブイリ——家族の帰る場所』が届いていた。

スペインのフランシスコ・サンチェスが文章を、ナターシャ・ブストスが絵を担当し、ロシアのチェルノブイリ原発事故以後の人々の生活を描いた物語を、日本人の管君が翻訳したもの。

「住みなれた土地を突然に追われ、あるいは愛した土地に留まり続けた〈親子3世代の物語〉」
 
 3月11日に一年前のできごとを思い出しながら、この本を読んだ。
 
 僕が感想を書く代わりに、管君の「あとがき」を引用しておこう。

 土地を失うということ

 人は土地に住む。土地を耕し、家を建て、家族を作り、動物を飼い、暮らしを営む。世界のどこでもそう。あたりまえのことだ。

 ところが20世紀は、人間的尺度も生態圏もはるかに超えた、巨大技術を生み出してしまった。その技術が、いったん制御不能に陥ったとき、地上の生命のすべてが危機に陥る。

 1986年4月26日。チェルノブイリの原発事故は、まさにそんな出来事だった。爆発により極端な量の放射性物質が飛散し、放射線はまるで極小の雨粒のように肌を叩いた。目に見えないそれが世界を浸し、人々を土地から追った。動物たちは殺された。すぐ帰れる、といわれて家を離れた人々が、自分の故郷に戻れることは二度となかった。人々は家を捨て、あらゆる持ち物を奪われ、多くの人々が命を失った。そしてこのチェルノブイリの経験から、われわれは何も学ばなかったのだ。

 今、ぼくらが住むこの列島で、おなじ事態が起きている。暮らしを破壊され、土地を追われ、なお命を十全に生きることを追求している隣人たちがいる。あるいは土地にあくまで留まり、生活と希望を取り戻そうと努力する人々がいる。

 スペインのふたりのアーティストが準備してくれたこの作品は、そのことを改めて考えさせてくれる。ただ、土地だけが、われわれを生かしてくれる。その原理の追求を、もう一度心に誓おう。

 読み終わった14時頃、達郎さんのラジオ番組が始まった。
 1曲目は、Solomon Burke の Don't give up on me から。

 14時46分に、鎮魂の鐘が鳴った。
 

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

March 07, 2012

The Best Birthday I had ever !

 メールやフェイスブックでお祝いメッセージくれたみなさん
 ありがとうございました!

1331119067548.jpg

6日(火)
マウイ島からオアフ島ホノルルへ
マウイはもう1日いたいようなすばらしい天気だが、ホノルルは豪雨と雷。

夕方、ようやく小降りになって、住宅街の地元の人たちに愛されているというベトナム料理屋さん

Hale Vietnam  へ

幼いころ韓国から移住してきたというタクシーの運転手さんが
「30年間で一番すごい雨ですよ。いい経験をしたと思ってください!」とのこと。

1331174682291.jpg

3月7日(水)
53回目の誕生日を虹が祝福してくれた。
自分が53歳なんて、おいおい、って感じなんですけど、事実だから仕方ない。
体調は10年前よりよほどいいです。

陽が差してきたので、プールサイドで、読書
近くのビーチで ハワイ50 のロケをしているのを妻と早紀はみている

1331231587445.jpg

 夕方はお祝いを家族がセットしてくれた

 House without Key でカクテルと音楽を楽しんでから
 Ocean Houseで夕食

 子どもたちが無事に学業を終え
 一緒にたのしく旅ができて
 外国の人たちと気後れなく接することができる語学力とコミュニケーション能力を身につけたことを確かめ
 一緒にお酒と食事を楽しみながら、夕陽が沈んでいくのを眺めることができた。
 足りないものあるとすれば、メイがテーブルの脇で、しっぽを振っていないことくらいかな。

 53年間のすべてに感謝。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

«家族の卒業旅行