ウミガメの還る海岸をもたらした人は

みさきの家へ遊びに来てくれた友成さん、坂東さんと、歩いて数分の海岸へ行き散策した。
「ゴミ一つない海岸ですね。」といわれたが、これは、自然にそうなっているのではない。
みさきに滞在するようになって間もない頃、早朝に海岸へ出ると、何人かの方々が手分けしてお掃除をしておられた。その中の中心的な人物である森谷淵さん・香取さんご夫妻と、朝のあいさつを交わして、以下のようなことをうかがった。
この海岸は、豊かな自然が残っていて、ウミガメが産卵にくる世界でも珍しい場所。日本のウミガメ産卵地としては北限であること。
土建王国千葉にあっては、豊かな海岸線の自然は、内房においてはほぼ完全にコンクリートで覆われてしまっていること。外房は内房に比べればまだよいが、土建業とそれに結びついた政治屋たちは、ちょっと気を抜くと、安全とか護岸とか観光資源だとか言い立てて、土木工事をしようとするので、油断できないこと。
その中で、この日在(ひあり)海岸は国定公園にも指定されており、県も手をつけることができず、なんとか開発に名を借りた環境破壊を食い止められていること。
しかし、夷隅川の上流から自然や住宅が排出する倒木・ゴミが流れてきて堆積し、その量は凄まじいものであること。心ない人々が、乗り物を持ち込んで傍若無人に走り回り、ウミガメを脅かしたり、産卵後の卵をダメにしてしまったり、飲食をしてゴミが放置されていること。
ゴミは残されたままでは、人々はますます海岸を汚すことに無頓着になるし、なにより、繊細な生き物であるウミガメの生存を脅かすこと。例えば、発泡スチロールの細片などは、ウミガメがエサとまちがえて食べて死んでしまうことがある。
お二人は、リタイヤ後、この地に居を移され、以来、ウミガメの研究をされつつ、毎朝、日の出とともに海岸にでて、清掃をしておられること。
そんな風にして、森谷さんご夫妻と知り合ってすでに5年近くが経つ。
今回、みさきに滞在して、森谷さんのご主人が亡くなったと、聞いた。
3月6日のことだったという。
ほぼ1年前に肺がんが発見され、その時期すでにⅣ期で余命1年と告げられた。
入院治療は望まない、とおっしゃって、その後も、ずっと海岸の清掃とウミガメの研究を続けられていた。
その後、会うべき人には会ってご挨拶をされた。ご自身の病気のことは告げずに。
私たち夫婦にも、そのつもりで挨拶をしたことがあったと思います、と奥様がおっしゃった。
ウミガメに関する最後の論文を奥様との共同名義で学会誌に発表された。
その学会は、3月のはじめに開催され、喜んで出席されたという。
桜が開花する前、奥様をお近くに呼ばれて「自室の窓から見える桜は、今年は見ることはかなわないだろう」ということをおっしゃったそうだ。奥様は、ご主人が頭脳明晰で、トイレにも自身で行かれるなど、あまりにしっかりとしておられたので、真剣に取り合わあなかったことを悔いている、とのことだった。
学会から数日を経て3月6日、様態が急に思わしくなくなり、往診された医師に入院を勧められ、初めて入院することに応じられたという。
東京のがんセンターの緩和ケア病棟に運ばれたが、その間も、救急隊員に、救急車内で測定されたさまざまな数値を尋ねられるなど、意識はしっかりしておられたそうだ。
入院された後、医師の診断を受け、しばらく休まれた後に、大きく息を三回されて、旅立たれた。
入院時間は、10数時間にすぎなかった。
お悔やみにうかがって通していただいたご主人の部屋で、奥様から、そんな話をうかがった。
うかがって、玄関で奥様のお顔を見てから、辞去するまで、僕は、ほとんど何もしゃべることができなかった。口を利くと、堰が切れて、涙が止まらなくなりそうだったからだ。
淵さんは、私たち夫婦にも1通の封筒を遺して下さっていた。
中には、ご自身の、そして奥様との共同の論文が掲載された学会誌。
そして、お二人が海岸でボランティアのお仲間と写っているポストカード。
カードには、リタイア後、約20年間を充実して過ごせたことは奥様のお陰であるとの感謝のことば。
この地で、大勢の人と知り合えたことは幸せだった、との我々を含む知人たちへのメッセージ。
そうしたことがプリントされ、自筆でサインがされていた。
淵さんは、僕たち夫婦にとって、海辺ぐらしの先生だった。
まだまだ閉鎖的だった20年前に、この土地に来られた。
口さきで環境保護をいうだけではなく、まず、自分たちが体を動かして海岸をきれいにすることを始められた。メディアに情報提供をして、仲間を増やし、最後には行政や政治を動かし「ウミガメ監視員」という制度まで発足させた。
今ではボランティアでは処理しきれない大量の流木・粗大ごみをどう処理するか、ウミガメが産卵した場合には、誰がどうやってその卵を保護するか、などの仕組みもできあがった。さまざまな思惑からの妨害も沢山あったようだが、かつて起こったひどいできごとに憤る奥様を、いつも穏やかになだめておられた。
いつもおしゃれ。LLビーンのウエアを着て、デジカメと携帯電話を首に、肩には観察と清掃に必要な資材一式(だと思う)を入れたトート・バッグをかけて、背筋を伸ばして海に向かっておられた。
人間関係に踏み込み過ぎない。
下の世代にもいつも敬意をもって接する。
ことばだけでなく、持続的な行動で、範をしめす。
教わったことは限りがない。
あまりにお元気だったので、勝手に、これからも、何回でもお会いできて、いろいろなお話がうかがえると思い込んでいた。このGWにも、夏の暑い盛りにも、お宅へ伺って、この土地のことだけではなく、若くして携わられたフクシマの発電所のことなどもお聞きできると、決めつけていた。。
うかつだった。本当に。
でも、最後に、本当にお見事な生き方、死に方を見せて下さった。
お手本にします。
法名 釈亀淵 享年79歳
心からご冥福をお祈りいたします。



































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