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October 30, 2005

帰国の前夜 GR-D 不調に

DVC00037← 路上の書道です。すばらしく上手です。クリックするとすこし大きく見えます。

 いつもながら海外旅行だと被写体が溢れていて撮りまくっていたらGR-Dの沈胴が動かなくなってしまった。
 シャッターも切れません。
 くそ! GR-1は5年間使っても、一度も不調はなかったぞ!

 今朝は、ホテルの前の公園に太極拳、京劇、コーラス、路上での書道(水をつけた大筆で地面に字を書く←写真)などを撮りにいくはずだったのに。
 気分を切り替えて、携帯電話で撮ることにする。
 歩いているだけで楽しい!
 みんな生活は楽ではないだろうけど、人生を楽しんでいることがよくわかる。

9時40分 集合 土産物屋さんへ連行される
 撫明亭 という雅印を作ってもらう なかなかよい
11時30分 大連空港 人が溢れている 最近できたばかりだというが、さらに大きな空港をつくる計画があるとのこと。
12時40分 帰国の途へ 機中「ジョブズの再臨」を読む。途方もなく魅力的で、耐えられないほどつきあいにくいカリスマの伝記。おもしろい。ともだちや部下でなくてよかった。人並みはずれた天才は、遠くで賞賛しているに限る。
18時45分 帰宅 驚喜するメイとしばらくたわむれる。
19時00分 帰ってきた娘と外食 妻はコーラスの発表会の打ち上げ

 
 

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October 29, 2005

大連日本法律事務所

DVC00009


 ぐっすりねる。
 朝の散歩も十分にする時間がなかった。

10時50分 集合 棒捶島賓館へ向かう
 ここは大連市政府の使うホテルだが特別に今回のセレモニーをさせてもらえることとなったとのこと。
 夢のようなリゾート(ホテルはそれほどでもないけど、自然環境がすばらしい)。
12時00分 昼食
 浜辺をぶらぶらする。共産党における幹部への特権の集中をしみじみ思う。
 ビルゲイツもかなわないだろうな。
14時00分 法円坂法律事務所 大連代表処(大連日本法律事務所) 開設5周年記念講演・祝賀会
 (株)小島衣料の小島正憲社長 体験的中国論
15時40分
 塚本宏明弁護士 日系企業の中国法務-過去 現在 未来

 講演はいずれもおもしろい!
17時30分
 祝賀の宴会

20時頃 ホテルに戻って近くのショッピングセンターを見回る
 物が溢れている。

 早めに寝る。
 今度の旅行は、団長が禁酒しておられるので、あまり深酒にならずに健康な毎日。

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瀋陽から大連へ

R0010259

 朝起きて体操
 だいぶ疲れがとれた。
 8時から瀋陽市内観光へ 奉天の駅舎 満鉄社宅 北綾 など 小雨で寒い

 昼食後、バスで大連へ向かう
 途中から天気がよくなり、地平線に沈む夕日を見る
 しばし、石原莞爾の気分に浸ろうとする
 しかし、私は小人物なので、こんなだだっ広いところ、只でくれても統治するなんていやだぞ、と思う
 めんどくさいよー きっと

 途中、何もないと思われる山の中をジャージを着た中学生5人くらいが自転車を押している
 高速道路上に女性3人が、ヒッチハイクをしている

 大連は、すごい大都市 大都会
 前市長が「北の真珠と呼ばせる」といって汚い人、家、物をすべて排除したとのこと。
 びっくり
 美人の産地で有名だそうで、確かにそのとおり
 お巡りさんもモデルみたいな女性が立っている
 交通違反をして切符切られても、超美人に相手してもらえるならうれしいね おとこ ばか すけべ とガイドの吾さんがいう

 海鮮の夕食を食べて、市内をぶらぶら
 スイスホテル泊
 

 

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October 27, 2005

北海道 瀋陽

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26日 7時に羽田 また北海道へ
 3カ所回る さらに○○庁へ
 2カ所で担当者に猛抗議する。
 まるで教科書にでてくる不適当な方法のオンパレードである。
 担当○○はまだ、ねんねの女性。萎縮してしまっている。選ぶ仕事、まちがえたんじゃないの?といいたくなるが、いうことはきっちりいってくる。
 あいまいな記述ですが察してくださいませ。

27日
 同期のK弁護士の事務所が中国の大連に現地事務所を持っており、開設5周年記念旅行を主催、瀋陽と大連に誘われたので、Mさんと一緒にやってきました。
 北海道やら中国やら、忙しいことだ。さすがに疲れています。
 機中はひたすら寝る。

 瀋陽は、もや?スモッグ?に覆われている。
 到着してしばらくして小雨が降り始める。寒い。明日は雪になるかもしれないとのこと。

14時 瀋陽総領事館 そう、あの北朝鮮の難民を追い出したのでマスコミから批判されたところです。
 総領事からいろいろ話をきく。すんごい自信家。
16時 瀋陽市政府の局長と面談 通訳の女性がかなり美人 通訳は下手だが許す
 こちらの参加者がプレゼンするが なかなかかみ合わない。
18時30分
 総領事と領事を交えて食事
 総領事がまた○○発言を繰り返す。ここには書けませんが。首相の○国参○のこととか。

 ホテルでメールチェック多数。
 blog書いて寝る。


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October 25, 2005

スティービー ワンダー

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6時 メイに起こされ起床。 メールチェックやら返事やらですぐに1時間が経ってしまう。
 シャワーして、体操する。体操は野口体操で、力を入れることはないのに、汗が噴き出る。更年期障害かしら。
9時30分 事務所 あれや、これや、11時のミーティングの準備。
11時00分 Sさんの奥様と面談
12時15分 家から持って行ったおにぎりなどを食べる。
13時00分 G社 法務部 定例相談
16時00分 G社 債権回収部 定例相談
19時00分 A&A社のバーゲンへ いろいろ買い込む。佐治さん、教えていただいてありがとうございました。
 帰りに丸善によって、数冊本を買う。Jobsの評伝を見つけて購入(写真)。
20時00分 ようやく事務所へ戻って、あれこれ直して、終業は23時。吉野家で、豚皿並、生野菜サラダ、ビール。
 明日はまた北海道。

 Jobsは、アップルの創業者利益をすべてNeXTに注ぎ込み、ものにならず、経済的にも破綻しかかっていた。
 その時、彼を救ったのはPixer、すなわちトイ・ストーリーをつくったプロダクションだったんだそうです。それまでは、金食い虫だったのだが、トイ・ストーリーをリリースして、翌月に株式公開をしたら、投資家が殺到して、株価が急上昇、Jobsは、一気に数十億ドルを手にして息を吹き返した。そして、その後、アップルの暫定CEOに返り咲く。しかし、彼は、自分を追い出したアップルに対して複雑な思いがあり、なかなか、正式のCEOには就任しなかった云々。ということが冒頭に書いてあります。この経緯を読むと、スタンフォードのHPの中の肩書きに、PixerのCEOという肩書きが書かれていることの意味がよくわかります。
 で、栄華を極め、奈落の底に落ち、また「再臨」した彼は、スティービー・ワンダー(スティービーの不思議)と呼ばれる?ことがあるのだそうです。
 ちょっと、Jobsの話題に偏りすぎていますね。
 僕が最初に勤めた法律事務所は、NeXTの日本法人設立などを担当して、米国の法務担当者に会ったことがあります。その時、彼に《スティーブ・ジョブズのことはRespactしている、よろしく伝えてください!》なんていってしまったことがあるくらいなのです。
 

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October 24, 2005

スティーブ・ジョブズによる祝辞 2005年6月12日 スタンフォード大学

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Steve Jobs, CEO of Apple Computerがスタンフォードの卒業生に向けて述べた祝辞

ようやく全訳が完成しました。ちょっと緊張気味のジョブズの口調で訳したつもりです。「200512.rtf」をダウンロード

ビデオはこちら


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October 23, 2005

北海道 ふたたび

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↑ 北海道のコスモス

 また北海道行ってきました。
 7時に羽田 8時半に千歳
 また、レンタカーをかりてぐるぐる。
 23時帰宅。いやはや、北海道は広い。
 途中で、本屋へ寄ったりユニクロに寄ったり。
 お昼は札幌市内のホテルでオムライス。
 夕食は、また空港でサラダ、ししゃもなど。

 国家権力に対していいたいことがいろいろあるんだけど、機が熟したら書きます。

 Jobsの祝辞、翻訳が終わらないな。

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October 22, 2005

理事会 体操 写真展

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 昨晩は、北海道を200キロ以上駆けめぐって、4人と根を詰めて話をしたのでくたくたになった。
 なおかつ、神経が昂ぶったというか、ささくれだったというか、なかなか眠れない。
 結局、寝たのは3時頃。

 今日はゆっくりしたいところだが、マンションの理事会があって寝てもいられない。議長ですから。

 野口体操の創始者、野口三千三先生の著書を読む講座「野口三千三を読む」に少し遅刻。
 その後、2時間ちかく、たっぷり体操。すっかり体がほぐれて、爽快。
 運動して疲労が残るのは不快ですが、そうでないのがほんとにいいですね。

 その後、古参の佐治さんの写真展「森のパースペクタ」へ。
 やっぱりプロだなあ、すばらしい、とじっくり鑑賞。
 共同購入した昨日発売のGR-DIGITALをお渡ししてしばしカメラ談義。

 その後、新宿三丁目、思い出横町で軽くやる。

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北海道のカボチャパスタ

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21日 私としては、大事件が起きて、Nさんと北海道へ飛んだ。9時30分着。
 土地勘がないので、迷ったが、レンタカーを借りて、千歳、栗山町、札幌と回る。
 カーナビがあって助かるが、なにもないところ(畑)に縦線二つ(道路)という表示がすっと続く。
 午前にふたりと面談。
 昼食をとろうにもなかなかお店がない。ようやく見つけたお店でカボチャのパスタ(写真は食べ終わったところ)。
 午後にもふたりと面談。現地の弁護士さんと面談。
 8時にレンタカー屋さんが閉まるところ、15分前くらいに返却終了。
 空港のレストランも閉まりそうなところが多く駆け込む。
 きのこのてんぷら、かれい、じゃがバタなどでビールを呑む。
 機中泥のように眠る。
 24時帰宅。ふぅ。
 

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October 20, 2005

死を思え(Jobsの祝辞(3) 最終回)

 3つめの話は 死 についてです。

 17歳の時、こんな言葉が引用されているのを読みました。《毎日を、人生最後の日と思って生きよう。そうすれば、いつか必ず正しい自分になれる。》 この言葉はとても印象に残り、それから33年間、私は毎朝、鏡に向かって自問します。《もし、今日が人生最後の日だったら、今日しようとしていることをやりたいか?》 「ちがう」という日が続けば、何かを変えなければいけない、とわかるのです。

 自分がまもなく死ぬんだ、そう思うことは、人生における重要な選択のための道具でした。他人の期待とか、プライドとか、とまどったり失敗したりすることに対するおそれとか、死ぬことに向かえば何でもありません。本当に重要なことだけが残されます。自分が、今も死に向かっているんだ、と心に刻んでおくことは、何かを失うのではないか、という囚われを避ける最善の方法です。みな生来無一物です。心の指し示すままに生きない理由なんてありません。

 1年ほど前に、私は、癌だと診断されました。朝の7時に画像診断を受けました。その時、膵臓にはっきりと腫瘍が見えたんです。私は、膵臓が何か、すらよくわかっていませんでした。医師は、不治の癌であることはまちがいなく、余命はせいぜい3ヶ月から6ヶ月であろう、といいました。医師は、家へ帰って身辺を整理しなさい、といいました。それは、医者の言い方では、死ぬための準備をせよ、っていう暗号です。子どもたちに10年くらいかけて言おうとしていたことを、数ヶ月でいっておけ、っていうことです。家族が簡単にあとの処理をできるように、なんでもちゃんとしておけ、いろんな人に、さよならをいっておけ、ということ。

 その日の夕方遅くに、私は生体組織検査を受けました。内視鏡を喉から、胃、腸へと挿入して、膵臓から腫瘍の細胞を少し取ったんです。私は、麻酔をかけられていたので、覚えていないのですが、そこにいた妻によれば、医師達は、細胞を顕微鏡で見ると泣き出したそうです。私の膵臓癌は、手術で治癒可能な極めてまれな癌だったんです。私は、手術を受けて、今は元気です。

 これは私が最も死に近づいた経験であり、できるならば、あと数十年は、もう近づきたくない経験です。そして、この経験をしたからこそ、死が単に知識だった時よりも、確信を持って言えることがあります。

 誰も死にたくはない。死して天国に行けると信じている人たちですら、死にたくはない。それでも、死は誰にも避けられない最終到着地です。たれ一人としてそれから逃れた者はいない。そして、そうあるべきなんです。死は、生命のが生み出したひとつの、そして最高の創造物だからです。死は、人生を変える。古きものを一掃し、新しきもののための道を通す。いま、新しきものは皆さんです。しかし、そう遠くない将来、みな徐々に古びてゆく、やがて消え去るんです。芝居がかっていてごめんなさい、でも、これが真実です。

 時間は有限です。他人のために時間を浪費してはいけません。定説に囚われてはだめです。それは、他の誰かの考えの残り滓にしかすぎません。他人の考えの雑音に、あなた自信の内なる声をかき消されないように。一番重要なことは、あなたの魂と内なる声に従う勇気を持つことです。それらは、あなたが本当になりたいものを、知っているのです。それ以外のことは、すべて二の次にすぎません。

 私が若いとき「全地球カタログ」という素晴らしい本がありました。それは、私たちの世代のバイブルでした。その本は、ここからそう遠くないメロン・パークに住むスチュワート・ブランドという人が生み出しました。そして詩的な生命を吹き込みました。1960年代の終わりで、パーソナル・コンピュータも、DTPもなく、すべてはタイプとハサミとポラロイドカメラで作られていました。いってみれば、ペーパーバックでできたグーグルみたいなものです。理想を掲げ、小気味のよいツールと、すばらしい知見に溢れていました。

 スチュワートと彼の仲間は、全地球カタログをたくさん発刊して、なすべきことをなしおえて、最終号を出すことになりました。1970年代の半ば、私が皆さんくらいの歳のころです。背表紙には、朝早くの田舎道の写真でした。冒険が好きならヒッチハイクで行ってみたくなるような道です。その下に、言葉がありました。
《貪欲でいよう バカのままで》 それが彼らのさよならのメッセージでした。《求め続けよう 良識は捨てて》
いつもそうありたいと思ってきました。そして、いま卒業を迎えた皆さんにそうあってほしいと思います。

Stay Hungry. Stay Foolish.

どうもありがとう。

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寒くなりました

 Jobsの祝辞の翻訳ばかりしていて、日録がおろそかになった。
 
18日(火) 朝から勤務弁護士のドラフトなおし。13時G社定例相談 14時30分M社 15時30分ITSAさんとミーティング この人たちはお会いしているとほんとにほのぼのする 沖にモーターボートで出てエンジンが動かなくなり死ぬかと思って、飛び込んで船を押したが動かず(あたりまえか?)、発煙筒を焚いても昼間なので発見されず、いよいよ死ぬかと思ったらガス欠であることに気づいたとのこと。そして、予備タンクがあることもしらず、取り乱していたら、そばに来た船が教えてくれて、九死に一生を得た、というはなしを聞いて、大笑いする。夜、マンション理事長として光ファイバー施工業者と打合わせ。いろいろ勉強になる。

20日(水) G社取締役会 本年度予算達成率200%! 好調とのこと。14時N社Iさん あるIT系企業の幹部 すばらしいビジネスモデルに感嘆 17時 Y駅のSホテル K先生とミーティング

 朝はもう涼しいというよりは寒い。
 
 内田樹さんの新著「街場のアメリカ論」を読む。
《戦後の日本外交史に一貫して伏流しているのはアメリカに対するこの「ねじれ」である。(中略)右翼は政策的に親米であるけれども心情的にはもちろん反米である。日本国内にオフリミットの米軍基地があり、外交戦略のいちいちについてホワイトハウスにお伺いを立てないと政策決定もできない日本の従属的なあり方に右翼が満足しているはずがない。(中略)しかし、右翼が批判するのはロシアや中国や韓国であって、彼らの口からアメリカ批判はほとんど聞かれることがない。》
《憲法論議も同じようにねじれている。改憲派は「アメリカ人に押しつけられた憲法だから」という理由で憲法改正を主張している。けれども彼ら自身の政治的立場は東西冷静時代以来一貫してアメリカの世界戦略を支持することにある。(中略)逆に日本の左翼は「GHQに押しつけられた憲法を「国の宝」と護持している。》

 かねがね「あれ?」と思っていたことが、どんどん解きほぐされていく。
 いつもどおり目から鱗の連続。

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October 19, 2005

愛着と喪失(Jobsの祝辞(訳文) その2)

 次にお話しするのは、愛着と喪失に関する物語です。

 私はラッキーでした。人生の早い時期にほんとうにやりたいことを見つけたからです。ウォズと私は二十歳の時に、うちの両親のガレージでアップルを立ち上げました。懸命に働いて、ガレージに二人っきりから、10年後には4000人の従業員を抱える20億ドルの企業に成長しました。そして、私たちは、最高の製品 マッキントッシュ を売り出して1年後に30歳になりました。それから、私は、会社を馘首(くび)になりました。何が悲しくて自分がはじめた会社を馘首になるんですか? 私は、会社が成長したので、我々と共に会社を経営してくれる才能あると思った人物を雇いました。1年かそこらはうまくいきました。でも、我々の未来に関する考え方はずれはじめ、最後には仲たがいをすることになったんです。そうなったとき、取締役会のメンバーは彼の側につきました。そうして、私は30歳でアウトです。さらしものにされて、アウト。私が、大人になってからのすべてを賭けたものを失った。ぼろぼろでした。

 数ヶ月は何をしていいかわかりませんでした。私は、先輩の事業家たちをがっかりさせたと思いました。先輩たちが、私に手渡してくれようとしたバトンを落としてしまった。私は、デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会って無様ななりゆきを詫びようともしました。私は、知る人ぞ知る落伍者でした。シリコンバレーから逃げ出したいとさえおもいました。けれど、徐々に光が差してきたのです。私は、まだ自分がなしたことに愛着を持っていました。アップルで我が身に起こったことで、その気持ちが揺るぐことは少しもありませんでした。私は、追い出された。けれど、私はまだ自分のなしたことを愛していました。だから、もう一度やり直そうと決心しました。

 その時はわかりませんでしたが、後に、アップルで我が身に起こったことは、最高のできごとだと思うようになりました。成功者としての重荷が、駆け出しの気楽さに変わり、何ごとにもとらわれなくなった。そうしたことが、私を人生において最も創造的な時期に解き放つことになったのです。
 それから5年の間に、私はNeXTという名の会社を興しました。もう一つはPixerという会社です。それから、後に私の妻となるすばらしい女性と恋に落ちました。 
Pixerは、世界ではじめてコンピュータによるアニメをフィーチャーしたトイ・ストーリーという映画をつくり、現在では世界でも最も成功したアニメーション製作会社になっています。それから、びっくりですが、アップルはNeXTを買収して、私はアップルに復帰しました。我々が、NeXTで開発した技術は、現在のマックの技術革新の中核をなしています。そして、ローレインと私は、すばらしい家庭を持っています。

 私は確信しています。私がアップルから追い出されるという事態がなければ、こうはなりませんでした。とてつもなく苦い薬でしたが、患者には必要なものだったのです。時に、人生はレンガの塊で頭を殴りつけるようなことをします。でも、信念を失ってはいけません。私を突き動かしていたものは、自分がやってきたことが好きでたまらない、という思いだけでした。自分が好きでたまらないことを探すのです。恋も仕事も同じです。仕事が生活に占める割合はどんどん増えていきます。その時、真に満ち足りているためには、自分が立派な仕事だと信じられることをするしかありません。そして、立派な仕事をするためには、好きでたまらないことをするほかありません。まだそれを見つけていないなら、探し続けよう。あきらめないで。心に関わるすべてことはそうですが、見つけたときには、これだ、とわかります。そして、すばらしい関係が常にそうであるように、時間を経るごとにすばらしくなっていきます。だから、それを見つけるまで探し続けてください。あきらめないで。

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October 18, 2005

点を繋ぐ(Jobsの祝辞(訳文) その1)

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 昨日、ジョブズの祝辞の日本語訳にリンクを張りましたが「緩い」ので(訳者の方、ごめんなさい)、自ら訳しました。今日は3つの話の最初です。

(以下訳文)

 今日、世界最高の大学のひとつから巣立つ皆さんと同席できることを光栄に思います。私は大学を卒業していないので、今日は大学の卒業式に最も近い日、ということになります。皆さんに私の人生から、3つの話をします。そう、大げさなことじゃありません。3つだけです。

 最初の話は「点と点をつなぐ」ということです。 

 私はリード大学を半年で退学しました。でも、それから18ヶ月くらいは、本当に大学へ行かなくなるまで、もぐりで大学をうろうろしていました。じゃあ、私は、なぜ大学をやめたのか。
 私が生まれる前のことです。私を生んだ母は、若い未婚の大学院生でした。私が生まれたら養子に出すことにしていました。彼女は、私の養親は、大卒でなければならないと決めていました。それで、ある弁護士とその妻が、私を養子にすることになっていました。ところが私が生まれたら、彼らは「やっぱり女の子がいい」といいだしたんです。それで、順番待ちだった私の両親が、夜中に電話を受けるはめになりました。「思っていたのとちがって、男の子が生まれたんですけど、欲しいですか?」。両親は答えました。「もちろん」
 実母も後で知ったことですが、私の母は大卒ではなかったし、父は高校も出ていませんでした。だから、実母は、最初、養子縁組承諾書にサインをしませんでした。でも、両親が、必ず私を大学に行かせると約束して、実母は、養子縁組に応じたんです。

 17年後、私は大学に行くことになりました。でも、愚かにもスタンフォード並みに授業料の高い大学選んでしまい、庶民の父母は、私の授業料のために、貯金をすべて使い果たすことになりました。私は、半年で、大学は無意味だと思いました。自分が何をしたいかわからないし、大学が何の役に立つのかもわからない。なのに、両親は生涯かけて貯めた金を使い果たしてしまった。だから、大学は辞めると決めたんです。それでも、何もかもうまくいくと信じて。実際は、びくびくものでした。でも、思い返せば、人生最良の決断でした。面白くもない授業に出ないで、興味のある授業だけ聴けるんですから。
 色気なんてありませんでした。寮に部屋がないから、友達の部屋の床に寝ていました。食べ物のために、一本5セントのコーラの瓶を集めました。日曜の夜は7マイル(11.2km)歩いてハレ・クリシュナ寺院まで行って、おいしい食事を恵んでもらいました。楽しかった。興味と直感のままに、やりたいことをやっていました。後になって、それらが金に換えられない価値のあることだって分かったんです。たとえば、こんなことです。

 リード大学は、当時、米国内で最高のカリグラフィの指導をする大学でした。学内のいたる所、ポスター1枚から戸棚に貼るラベルまで、1枚1枚、美しい手書きの飾り文字(カリグラフィ)で書かれていました。私は大学を辞めて普通のクラスには出なくていい身分です。それで、カリグラフィの授業に出て勉強することにしたんです。 セリフやサンセリフの書体を覚えて、異なる書体の字間をどうやって調整するかとか、素晴らしいフォントを美しく見せるために何が必要かを学んだりしました。カリグラフィは美しく、歴史があって、科学では捉えることのできない繊細さを持つ世界で、実に魅力がありました。

 こんなことは、人生における実用性のかけらもありません。でも10年経って、初代のMacを設計している時、すべてを思い出すことになりました。私たちは、いろんな書体をマックに備えるよう設計しました。それは、美しいフォントを備え、字間調節機能を持った最初のコンピュータになったんです。
 もし私が大学でカリグラフィのコースを取らなかったら、マックは複数の書体も、字間調整機能を持つフォントも備えることはなかったでしょう。ウィンドウズはマックのパクりですから、パソコンがそうした機能を備えないままになったかもしれません。私が大学を辞めなかったら、あのカリグラフィのクラスを取らなかったら、パソコンは、今のような素晴らしいフォントを備えていなかったかもしれないんです。もちろん学生が将来を予測して、今していることと将来なすべきことをが繋ぐことなどできません。でも10年後に振り返ってみれば、はっきり繋がるんです。

 もう一度いいましょう。あらかじめ将来を予測して点と点をつなぐことなんてできない。振り返ったときに、それらを繋げることができるだけです。だから、今していることが、どんなかたちにせよ、将来に繋がることを信じるしかない。信じるものを持つしかない。本能、運命、命、業(ごう)、なんでもいい。私が信じてきた、それらが、私の人生に差異をもたらしてきたんです。

(続く 次回は 《愛と喪失について》)

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October 17, 2005

Stay Hungry. Stay Foolish.

Steve Jobs, CEO of Apple Computerがスタンフォードの卒業生に向けて述べた祝辞です。
翻訳はこちら
ビデオはこちら

 さすがのジョブズも、製品のプレゼンのときとはちがって、やや緊張気味。
 けど、内容はすばらしい!

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秋の幸

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 鶴岡で、柿・わかめ・茄子の漬け物・麦切り・干し芋・平田牧場のあれこれなどを購入した。日本酒も。
 それらが家にあってうれしいと思っていると、郷里のNさんから新米が送られてきた。
 家の中に、秋の幸があふれて、うれしい。ありがとうございます。

 小泉首相が靖国神社を突然参拝。
 軍人じゃない戦没者はどこに祀られているのかな。
 私も司法の一翼を担うものとして、違憲判決をあんまりコケにするなよ、という気持ちがある。
 
 夕刻 恩師U先生の事務所の新人の歓迎会にお呼ばれ。

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October 16, 2005

蝉しぐれ

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↑ 鶴岡で買ってきた柿と娘がどこかから入手した象

16日 日曜日は、庄内平野は、きれいに晴れました。
    
8時  起床 ぐっすり寝ました
    入浴・体操
10時 蝉しぐれのオープンセットへ
12時 百けん壕で昼食 オーガニック系のおいしいものがあれこれ
13時すぎ 空港へ向かう
 
 お陰様で、大好きな藤沢周平さんの小説の舞台をすっかり堪能しました。


   


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October 15, 2005

羽黒山

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 旧知の人がふたり鶴岡にいるので、妻と一泊旅行に行ってきました。
 あいにくの雨模様ですが、がんばって羽黒山の参道を徒歩で登りました。
 石段の数2446段!
 絞れるほどの汗。。。Tシャツもバンダナもびしょぬれ。
 
 山頂出羽三山神社にお参り。これで、羽黒山、湯殿山、月山の3つの山の神に参ったことになるそうです。
 降りる途中のコンビニでTシャツを買って着替える。便利な世の中だ。

 お昼は金沢屋で蕎麦と麦きり(←うどんのしこしこしたような庄内の郷土料理)
 致道館、大宝館、天主堂などを見学。
 ひとやすみして、夜は幸亭で郷土料理と地酒。
 おいしかった!

 伊藤さん、鈴木さん、ありがとうございました!

 

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October 13, 2005

夕日海岸ホテル

200510131715000
← 娘が送ってきた夕日海岸ホテルからの眺め(かな)

 一日、更新をさぼりました。
 1週間前にひいて、ほぼ1日で克服した風邪がぶりかえしてきた。
 昨日は早めにかえって寝ました。
 今日も喉が痛い。

 今日は朝から水戸へ。
 お昼は裁判所のそばで、蕎麦。
 往路は電車の中でもしっかり仕事。復路はほとんど寝ていた。
 3時のミーティングにぎりぎり間に合って、6時までびっしり仕事。
 一昨日、事務所に新規加入したN弁護士の歓迎会。

 今日から娘は移動教室?で不在です。
 夕日海岸ホテル、っていうロマンチックな名前のホテルから画像付メールがきました。

館山夕日海岸ホテル到着しゃしたッ☆彡
窓から見える景色全面が全て海で今夕日が超↑↑綺麗でしたぁ(≧∀≦)q
朝から色々ぁったけど③日間頑張りたいと思ぃます(^o^;

 朝から色々あったというのは、ジーンズにわずかな刺繍があったことをとがめられたとのこと。
 親に電話するといわれた、といって、先回りして電話してきた。
 刺繍ぐらいいいじゃねーか、というのが両親の基本姿勢です。
 娘は、禁止されているi-podや携帯電話も持参しています。

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October 11, 2005

学校のスト

息子から、学校がストに入ったとのメールが来ました。

(以下引用)
学校がストライキを始めました(!)。
なんか、僕が言っている学校があるBC州は、ほかの州に比べて、教育設備は整っているものの、先生の給料が少ないらしい。
生徒が払っている授業料も、ほかの州に比べて割高なのに、給料は、例えば、オンタリオ州で働いてる先生たちのほうが1.5倍またはそれ以上もらっているらしい。
そんなことじゃ平等な教育なんて不可能だし、よい先生たちがみんな他の州に行ってしまう!
それを州政府に訴えかけるために、BC州のすべての公立学校(小学校も含む)がストライキを始めました。
今日月曜日は、感謝祭でもともと国民の休日でしたが、明日火曜日はどうやらストライキになるそうです。
水曜日に学校が再び開始するか、しないかは、まだ発表されていません。それは州の対応にかかっています。
もしかしたら水曜日から学校が再会するかもしれないし、極端な話このまま数ヶ月学校がないかもしれません。

学校が休みになってやっぱり嬉しいですが、反面、お金払ってるんだから授業しろよ、とも言いたくなります。(後略)
(引用終り)

 僕が中学生の頃は、先生たちが「スト権をよこせ」とかいってストしました。
 職員室には、赤い字?でレイアウトされた日教組のカレンダーが堂々と掲げられていました。
 兄は、高校の卒業式で「こんなものをもらうために3年間通ったんじゃねー!」といって卒業証書を破りました(うそ)。でも、やってみたかった、とは言っていました。

 なんで日本国民はこんなに ひつじ みたいになってしまったんだ(前も同じこと書いた気がする)。
 

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October 10, 2005

くりきんとん

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実家から、栗をもらってきたので、ワインを飲みながら、妻とふたりで栗きんとんをつくりました。
恵那市の す屋 とか 川上屋 は有名で三越などにも入っています。
ソニーの出井前会長は、恵那の栗きんとんがお好きで、ブランデーのお供にされていたそうです。

作り方(かんたん)
1 栗をゆでる。
2 包丁で半分に切って中身をかき出す。
3 砂糖を好みの量入れてかきまわす。
4 清潔なふきんをぬらして、しぼり、3の栗を適量をまるくして置いて、絞り上げる(うまく表現できない)
 そうすると、通天閣のビリケンさんの頭みたいな形になる。これで完成!

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実家にて

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↑ 陰影礼賛をねらって仏壇を撮りましたが暗すぎました。
  後ろには、秋の産物(梨 栗 ラ・フランス)などがあります。

 鈴鹿から名古屋周りで実家に参りました。
 昨夜は、父母といつも寄る うな春 で鰻をたべる約束でしたが、もう閉まっておりました。
 母は、今朝、確認したのに!と怒る怒る。興奮したのか夜のせいか、道をまちがえるので「運転代わろう」といういっても、聞く耳をもたない。
 77歳で、これだけ元気ならいいとしよう。

 実家で、里芋、納豆、豆腐、などでビールと焼酎を呑む。
 11時過ぎまで、父母と話をする。
 過疎と老齢化で、あちらもこちらも病気か痴呆の話ばっかり。
 日本の数十年後を先取りしています。
 政治家も中央省庁の皆さんも、こういうところを、直接みて、聞いて欲しいです。

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October 09, 2005

琢磨君。。。。

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F1日本グランプリ。
佐藤琢磨君のお父さんは弁護士で、うちの事務所のOさんが、お知り合いで、プラチナチケットをゲットしてくれました。

昨日は雨のなか大荒れで、琢磨君は6位?といういいポジションを取ったのに、1周目に人にぶつけて彼をクラッシュさせ、自分も最後まで後ろの方をよろよろと走ることとなってしまいました。。。。残念!
(翌日、新聞を見ると琢磨君は失格。どうも、彼は、こういうレースが多いですね。早い段階で、人にぶつけてしまう。M・シューマッハにも怒られていたし。勝負は、本当の一流同士になると対決というより、共同で何かをつくりあげていくような関係になるそうですが、その意味では、まだまだ若いのか)

しかし、17位からスタートしたキミ・ライコネンがどんどん順位を上げて優勝。最後の5周でどんどんトップとの差を縮め、あと1周のところでトップにでました。いやー、すごかった。

これから愛知、岐阜とまわって、実家に寄って帰ります。


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今日は快晴

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 昨日、私は予選を見なかったのですが、観戦した人たちは、びしょぬれで鳥羽へ到着。
 お気の毒様。

 今日は、快晴です。
 最高のF1日和。

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October 08, 2005

6県またぎ

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 金沢は激しい雨。
 午前中、市内観光をして、鳥羽へ向かう。
 石川、福井、滋賀、京都、奈良、三重とたどってきました。

 まるで百人一首に歌われているような景色が雨に煙っているのをながめつつ。
 時折現れる、サラ金やスーツの量販店の店が興をそぎますが。
 
 明日、鈴鹿でF1を観戦します。

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October 07, 2005

金沢の夜

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 ↑ コレステロール高くなりそうですね。

 風邪は克服。野口体操をはじめてから、風邪が重くならなくなりました。
 今日は、金沢へ弁護士業務改革シンポジウム。「司法改革と弁護士業務~弁護士大増員時代を迎えて」
 我々が合格した頃は、一年の合格者は450人程度でしたが、800人になり、1000人になり、1200人になり、1500人になり、最終的には1年に3000人の法曹を生み出そうというのが、わが国の方針です。
 そうなった場合に、私たちは、どうやってメシを食っていけばよいのか、というシンポジウム。ま、私は、大競争時代には、ぢぢいですから関係ないのですが。

 それなりにためになるシンポジウムを聞いて、6時頃、ひとりで食事に出る。
 東京から来た弁護士は、沢山いるのですが、群れるのが恥ずかしい。ていうか、友達がいない?
 激しい雨になったので、散歩はあきらめてホテル近くの みの香 という小さな店に駆け込む。
 かつては美人であったろう女将さんと、ぽつり、ぽつり、と話をしつつ、ゆるゆると酒を呑む。
 
 明日は、京都まわりで鳥羽へ参ります。

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October 06, 2005

かぜ 流行?

 一昨日の夜、山内昌之先生の講演を聴いているころから喉の調子がおかしくなり(その時は聴衆の加齢臭にやられた!と思っていた)、昨日は体が痛くなって、風邪をひいた模様。
 バンクーバーの息子からインターネット回線を通じて感染したものか。娘も具合が悪くなり、寝ている。
 昨日は予定をキャンセルさせていただき、早く帰って、葛根湯と温めたワインを飲んで早寝しました。
 でもどうにも体が固いので、起き出して野口体操。それからまた寝たら、2時頃一升くらい汗をかいて目が覚めました。それから良くなってきた感じ。
 明日から、出張等が続くので大事をとる。

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October 04, 2005

一日さぼりました

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↑ 歯磨きする娘とそれを舐めるメイ

 一日、更新をさぼりました。
 昨日(10月3日)は、10時に某銀行のKさんとNさん来所、13時に某社のSZさん来所、15時から裁判所で某商標の事件の進行協議、18時30分にT法律事務所をお訪ねして、韓流の事件で協議。その後、当方依頼者に事務所にきてもらって作戦会議、あー疲れた。

 今日は、朝、自宅で3~4件の仕事をやっつけて10時出所。出所っていうと、刑務所からでてきたみたいだけど、出社、と同じ意味です。我々の事務所は会社じゃないので。
13時 G社 定例相談
15時 床屋
15時40分からずっと仕事
 ひさしぶりに自分でゼロから和解条項のドラフトをする。自分の構想力、それを文章に書き下ろしていく能力にうっとりとする(バカ)。
18時30分 一橋フォーラム
 山内昌之東大教授によるイスラム社会と日本外交についての講義。
 テロリズムの克服にも重点が置かれていました。
 こんなに優れた知性が、こんなに真摯に、かつ、現実的に外交政策を考えておられることに感動。
20時40分
 Sさんとやきとり
22時 帰宅

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October 02, 2005

暑い10月

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6時 メイの散歩
 真夏のように暑い日
 野口悠紀雄さんの「ゴールドラッシュの「超」ビジネスモデル」を読了。
 150年前のカリフォルニアのゴールドラッシュと現在のシリコンバレーの隆盛との相似性を説く。
 大勢の成功者、失敗者、成功して没落した者のエピソードが満載で、おもしろい面白い。
 そこから、日本経済復活のために足りない要素は何かを浮き彫りにしていく。
14時 けんちんうどん
16時 メイの散歩 暑くて歩かない
 イン ヒズ オウン サイト 小田嶋隆 を読み始める。面白いおもしろい。
 さすが内田樹さんが師と仰ぐだけのことはある。。。
17時30分 また吉田拓郎ライブ
21時 帰宅

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October 01, 2005

山利喜

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6時 メイ散歩
 ずっと読書
お昼過ぎから寝てしまい、野口体操さぼってしまう。
18時30分
 森下の有名居酒屋 山利喜 で、N修習生夫妻と2回試験合格祝い。
 2回試験、というのは司法研修所の卒業試験で、司法試験が1回目の合格、その後、研修所を卒業できて初めて法曹資格が得られるので2回目の試験が縮まって2回試験と呼ばれている。今年は、30名不合格。我々の頃は、精神に変調を来して受験できなかった1名を除いて、全員合格だったのですが。。。
 ともかくおめでとうございました。

 自宅から森下まで往復歩いた。
 とてもいい気候。

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