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April 29, 2011

掃除と炊事のGW

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4月28日(金)
連休前にやるべきこと片つけてしまおうと必死。おわった〜!
夜は、妻とさだまさしのコンサート。半分はトーク。トークだけのCDも出しているのでびっくり!
大学時代、学園祭の客寄せによく、グレープの曲をやったなあ。
いまでも自家薬籠中のものである。

4月29日(金)
妻をおいてメイとみさきへ。
ひたすら整理整頓 掃除。
気持ちいい〜

4月30日(土)
お掃除風水つづき。気持ちいい〜

5月1日(日)
夕方、妻が合流。

5月2日(月)
妻の両親と妹が合流。
料理に腕をふるう。

5月3日(火)
同上

5月4日(水)
同上
例によって、食の細くなった義父のためにあれこれ工夫して
驚くほどたくさん食べてもらえるので(^_^)v

5月5日(木)
早めに東京へ
夜、明日23歳になる息子の誕生日祝い
最近、妻ともどもはまっている居酒屋へ

 

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April 28, 2011

東電役員は刑事訴追されるべきか

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 26日、27日は、大型連休を前にして、大車輪で働く。
 本当に疲れたが、休日出勤は免れそうなところまでこぎつけた。
 27日の夜は旧知のFPの山城さんと赤坂四川飯店で歓談。
 もっとも効率よく動ける組織の規模についてあれこれはなす。ごちそうさまでした。
 我々の部屋を挟んで(?)鳩山由紀夫と鳩山邦夫が、それぞれ別会合を開いていたそうだ。
 連休中にのろしを上げる準備?

 帰路、自宅最寄り駅を出ると激しい雨。
 子どものころ、雨にぬれると頭がはげるっていったよね。
 あれ、ほんとはどうなったのかな。

 橘玲(たちばなあきら)さんが東電の賠償問題について、きわめてまっとうな意見を述べておられる。
 ここにも書いてあるけど、今の社長だけに責任押しつけるなよな。
 原発導入を決める前からの、全関係者でてこい。

 先日、明治大学の管啓次郎くんのゼミで「東電の役員、刑事告訴できないの?」と聞かれた。
 一瞬、虚をつかれた。法律家なのにあまり考えていなかった。
 瞬時に思ったのは、薬害エイズの安部英さん(無罪とされたが)が、刑事告訴され、逮捕されたことだ。他にも企業の製品に問題があって、経営陣が刑事訴追された例はいくらでもあるだろう。東電の歴代役員も、住民に対する安全配慮義務を怠ったのではないか、ということは当然に問題になる。ある時期からは、地震学者の方々も、今回の規模の地震はくる可能性あり、と指摘していたのですからね。
 橘さんのブログにもあるとおり、政治的なバイアスなしに「何が起こったのか」を司法の場で検証することは必要なのだと思う。民事であれ、刑事であれ。


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April 27, 2011

福島の弁護士たちのいま

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 昨日「もう我慢ならん」と書いたら、今朝の毎日新聞に敬愛する鹿島茂先生が同趣旨のことを書いておられた。一面には9.11の時のNY市長ジュリア−ノさんのインタビューも。彼は、9.11の際の対応を評価され、雑誌タイムで「今年の人」に選ばれた。
「(危機管理で大切なことは)指揮と制御だ。ただ、制御は究極の目標だ。危機を制御することなどできない。でも誰かが必ず責任を負わなければならないし、方向性を示さなければならない」
「指揮で大事なのはワン・ボイス(命令を出す人を一人に絞ること)だ。一人が無理な場合でもワン・セントラル・ボイスにする。私は当初は毎日3回、その後は2回記者会見したが、州知事や関係部署の職員も同席させ、専門的な事柄も含めてその場ですべての情報を取材できるようにした。今後のテロの可能性、がれきの片付け、学校の再会日時など何でもだ」
「2005年のハリケーン・カトリーナへの対処は失敗の典型例だ。連邦政府と州知事と市長が対立し、ばらばらのことをいった」

 ふぅ。我が国の首脳は、全部逆だな。

 GWに福島の教え子の皆さんを慰問しようかと考えて現地のS君に打診したところ以下のメールをいただいた。
 大変な状況のなか、時間をつかわせて申し訳なかった。
 本人の許可をえず、一部、掲載させてもらいます。

(以下引用)
近藤教官

お気遣いどうもありがとうございます。

まず、福島の弁護士の業務状況をお伝えしたいと思います。
震災後3週間くらいは震災後2週間が強制的に期日取り消し、延期となったうえ、原発の水素爆発があり避難の必要があった影響等によりほぼ営業停止状態でした。
その後徐々に営業再開となり、今現在では南相馬の事務所等を除き通常営業となっています(テレビで瓦礫が大量に放置されたままの状況が映るのは私も含め福島組のいる地域ではなく海沿いの地域です)。放射能の心配は続いていますが…
ただ、2週間の期日延期分、打ち合わせの延期分等がしわ寄せとなって、かなり忙しい状況となっています。
また、福島県では原発の影響等で避難している人たちが大勢いるので、福島県弁護士会としては、震災無料電話相談を毎日2時間交代で行っていることに加え、東京3会の協力のもと避難所への出張相談を行っており、通常業務以外に援助業務もこなしている状況です。

次に、自分達のライフラインの状況等についてお伝えします。
自分たちは震災後2週間はライフライン(特に水道)が止まり、ガソリン不足、スーパー、コンビニの品不足等があり大変でしたが、今現在は震災前の状況に戻っています。福島県は東北電力から電力供給を受けているので(福島の原発は東京電力の施設です)計画停電もありません。

最後に避難所等の状況についてお伝えします。
避難所は、1次避難所(学校、公民館等の公共施設)からプライバシーの保たれる温泉宿、ホテルなどの2次避難所に徐々に移りつつあります。福島県内には多くの温泉施設があるのですが、原発の風評被害で旅行客が減り、県や市町村の補助で避難者を受け入れています(仮設住宅が完成するであろう7月末までと期限はあるそうですが)。
自治体は避難者の所在を把握できていないみたいです(特に自治体ごと避難している自治体)。そのため出張相談も避難者の市町村を窓口として依頼することは困難な状況になっています(無作為に旅館・ホテルに連絡して出張相談のお伺いを立てている状態です)。
そこで、各温泉地の1つの公共施設等で出張相談を行いそこへ各旅館、ホテルの避難者に来てもらおうという案が出ています。それを行う前提として福島県弁護士会の若手がGWを利用して各温泉地の旅館、ホテルを巡回して状況を調査するとともにパンフレットを置くなどして出張相談の周知を図る活動をしようということになり、自分もそれに参加することになっています。
その他、GWを利用して対面形式の法律相談も行われる予定で、これにも参加することになっています。
(引用終わり)

 訪ねていくのは迷惑をかけるだけになりそうだ。
 GWは、自分のこれからの生き方をじっくり考える期間にさせてもらおう。

 福島をはじめ被災地のみんな、遠くから応援しています!

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April 26, 2011

もう我慢ならん

 管総理のこの事態におけるあまりに稚拙な対応に、もう我慢ができない気持ちになってきた。
 だからといって、何ができるわけではないのですが。

 たとえば「日本中の英知を結集して、とかいう発想自体がダメなんだ」ということがわからない。
 構造主義、勉強されたことがないんでしょうね。
 知性というのは、自分がある一定の思考の枠組みに囚われている(かもしれない)ということを疑える能力のことですが、菅さんは、決定的に、これを欠いていますね。
 あるいは、ヘンリー・フォード(←あやしい)の墓碑銘に書かれているように「自分より賢く、能力がある人を、知り、かつ必要な箇所に配置することをできる人」であったならば、本人は歴史に名を残す名総理になれたのに。

 平時なら、それでも人の命に関わりはないですが、有事にこれでは終わっています。
 
 と思っていたら、財部誠一さんが、もう怒りまくっておられる記事に接した。
 無料のメルマガの記事だから、勝手にファイル添付しちゃいます。
 まずかったらごめん、日経BP。

 財部誠一さんの怒りの記事はこちら
「takarabe.pdf」をダウンロード

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April 25, 2011

小回りのきく組織への寄付

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 3月11日、僕は広島にいた。
 その日、まず考えたことは自分の家族、自分の職場のみんなの安全を維持するか、ということだった。
 それから、自分が被災地のために何ができるか、ということを考えた。
 募金は、道にいた広島皆実高校の学生さんに1000円を渡した。
 その後、もっと協力したいとは思ったが、どこに何を送るのがいいのかわからなかった。
 というのは、政府や赤十字のような大きな組織に送っても、小回りがきかないと思ったからだ。

 ようやく、ここならばというNPOをみつけて今日、寄付しました。

 みなさんもぜひ。

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April 19, 2011

「知の衰退」からいかに脱却するか

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 母を見舞う行き帰りで、大前研一さんの『「知の衰退」からいかに脱却するか』を読んだ。

 みんなが読んでじっくり考えるべき憂国の書である。その主張の8割に賛成。農業に関する部分は異論があるが。

 その中で、官僚の権限強化が進むことによって経済的非効率性が増大する例が挙げられている。

 たとえば、食品メーカーが、消費期限を偽ったことくらいで、国中のマスコミが大騒ぎする。
 規制が強化されて、まだ食べられる食品は廃棄され、レストランからの持ち帰りは禁止される。ほんとうに身体の安全に危険がある規制以外は撤廃して、あとは自己責任でやれ、具体的には、食べる前に匂いをかいで、心配ならすてろ、いけると思ったら食べて、そのかわり腹壊しても行政やメーカーに文句をいうな、と。笑いをとってるんではない。大前さんは本気だ。僕も大いに同感。

 投資家保護しかり。
 もう、ほんとに繁文縟礼を絵に描いたような法律(金融商品取引法)ができて、資源と労力が無駄遣いされている。だいたい、そんなに金を失うのが心配なら、元本保証の商品だけ買いなさい。リターンが大きい商品にはリスクがある。そのリスクは自分で取りなさい。その覚悟がないなら投資なんてするもんじゃない。

 労働者保護しかり。青少年保護しかり。

 今朝の新聞には「オフィス28度超OK」という記事があった。
 職場の室内温度については、ビル管理法や労働安全衛生法の規則で28度以下にするように定められているんだという。それを、電力不足で一時的に緩和するという。でも、熱中症(!)の危険があるので、暫定的な措置とし、防止策もあわせてPRするという。
 ほっといてくれ。暑けりゃ、うちわであおいで、水のむから。

 これだけの国難に、ほんとうにおめでたいことだ。

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April 18, 2011

映画 節酒 見舞い

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15日(金)の夜、周防正行監督の新作『ダンシング・チャップリン』の広告をみて、16日朝、劇場にかけつける。夫婦のどっちかが50歳を超えていたらふたりで2000円。うーん、もうどっちも50は過ぎましたけれど、なんか申し訳ないような。まわりも大半がご老人。俺は定価でいいから、もっと若い連中にいろんな体験、経験させてやってくれよ。などと、よけいなことを考えるが、もちろんふたりで2000円で入れてもらう。

映画の途中で地震。
映画は、振付家ローラン・プティの作品を踊るルイジ・ボニーノと草刈民代さんを記録したバレー映画。バレーの知識がなくても楽しめた。
終わったら舞台挨拶。みんなでチャップリン風帽子をかぶって、ちょびひげをつけて記念撮影。
終わって地下のレストランで昼食にすると、周防監督も草刈さんも司会の佐々木恭子アナもみんなきた。

午後は野口体操へ。ひさびさに、しっかりほぐす。

ルイジや草刈さんの体を大切にしている様子に感銘をうけ、また、体操中、足のうらが攣るので、内臓疲労があるのだろうと思い、今日はお酒を断つことにする。
そうすると、夜、いつまで経っても眠くならない。本が大量によめるからいいことなのだろう。

17日(日)
母に知らせず、母の見舞いに。
昼前から4時まで一緒にいて、外の散歩などもして、帰途につく。
車中も呑まず。
東京駅に娘がきてくれて、一緒に夕食。ここでは呑んだが普段の半分か三分の一かな。

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April 15, 2011

子ども病棟で過ごした日々(読み書きクラブ第6回)

 小学校六年生の年の十月のある朝。遠くの方から、今日が秋祭りであることを知らせる太鼓の音が聞こえてきた。布団の中で、だんだん目が覚めてきて、今日は僕も一日お神輿をかつぎ、太鼓を叩くのだと思っているうちに、呼吸が苦しくなってきた。吐き気もこみあげてきて、僕は窓を開けて嘔吐した。
 
 それから、二ヶ月くらいの間、母は僕をあちこちの病院へ連れて行ってくれたが、原因ははっきりしなかった。十二月のはじめに行った国立療養所恵那病院では、検査入院をするようにいわれ、結果的にはそのまま十五ヶ月を病院で過ごすことになった。

 この病院は、昭和十七年に傷痍軍人岐阜療養所として設立された古い施設で、小高い丘の上にあった。戦後は結核患者や長期療養を必要とする者が多く入院していた。僕が入った時は、子どもたちは建ったばかりの新館病棟の一角に集められていた。入院している子どもの病気で、もっとも多いのがネフローゼという腎臓の病気。次に気管支喘息。僕の病名は急性肝炎で、他に慢性肝炎の子が二人。再生不良性貧血。骨折など外科患者もいたが、彼らは一直線に回復していくので入院患者といっても別種族だった。結核の子が大勢いたはずだが、別の病棟に隔離されていたので、ふれあうことはなかった。 

 病院に隣接して、といっても歩いて10分ほどかかるのだが、岐阜県立緑が丘養護学校があり、病院と連携して学業の遅れが最小限になるように配慮されていた。病状が安定している子や、発作さえでなければ普通の子どもと変わらない気管支喘息の子は、毎朝、パジャマから普段着に着替えて学校へ行って授業を受ける。それが許されない子には、医師が許してくれた時間数だけ先生たちが病床まで来てくださって、一対一か、少人数のグループで授業を受ける。

 かなりの子どもたちに、副腎皮質ホルモンが投与され、副作用で顔がまん丸にふくらんでいた。腹水が溜まってお腹がドッジボールみたいにせり出している子もいた。僕の顔もまん丸になった。毎日徐々に変化していくので、自分では大きく変わったとは思っていなかったけれど、見舞いに来てくれたクラスメートや久々の帰省で顔を見せてくれた兄たちは言葉を失ったようだ。この薬を投与されている者、とりわけ女の子にとっては、いかに早く副腎皮質ホルモンの投薬から逃れるかは重要な問題で、多くの子どもたちが、自分で薬の量を徐々に減らしたりもした。

 今では想像もつかないことだけれど、病棟にはギターの持ち込みが許されていた。長い髪を額から頬にかけた隣の部屋の安藤君が、ガット・ギターを弾きながらアメリカのフォークソングを歌っていた。安藤君の友人たちが、学校帰りに立ち寄って小さなセッションをすることさえあった。僕も、親にねだってヤマハの一万五千円のガットギター買ってもらった。回診に来た主治医の伊藤先生が手にとって、いきなり「湯の町エレジー」のイントロを弾いて見せてくれた。先生は名古屋大学の医学部の出身で「学生時代、学費を稼ぐために名古屋の栄町で流しをしていたんだよ」とのことだった。小さなラジオとレコード・プレイヤーを置くことも許してもらい、音楽は入院中に僕に親しいものになっていった。ラジオからは、レット・イット・ビーが繰り返し流れていた。  

入院してしばらくすると、未成年の患者だけが古い病棟に移され、そこは「子ども病棟」と呼ばれることになった。戦争で傷ついた兵隊さんたちが長く療養したという古い木造の平屋建て。窓の外には、広い庭があって、天気のよい日は、パジャマのまま庭に出て、紙飛行機を飛ばして遊んだりした。僕は、学校へ通うことはまだ許されていなかったので、病床まで先生が来てくださった。小学校のときは、ご自身も心臓疾患で入院しておられた安藤太郎先生。中学に入って、英語は、ご自身もカリエスを患われたことのある堀井先生。数学は若い女性の加藤先生。英語と数学は、遅れると追いつくのが大変だからと時間を優先的に割り振っていただいた。おかげで、この二科目は自分のペースでどんどん進み、まったく遅れずにすんだ。国語は教科書を自習。後は、母に頼んで買ってきてもらった本を読むだけ。暮らしの手帖社の「からだの読本」は全巻熟読した。小説は遠藤周作ばかり読んでいた気がする。社会科は「後で暗記しておいてよ。履修したことにしておくから」ということであった。だから、僕は中学一年生で習ったことになっている地理にいまでも疎い。

 子ども病棟に配された看護婦さんたちは、みんなやさしかった。新館では男の子に圧倒的な支持を得ていた工藤さんが、子ども病棟の担当にならなかったことで、みんながっかりしていた。時々、用事もないのに新館へ行って廊下にある車椅子で競走をしながら、工藤さんの近くにいって視線を合わせてもらうだけでどきどきしていた。でも僕の本当の憧れの対象は、工藤さんよりもう少し年上の藤井さんだった。
 彼女たちも、大人の患者を相手にするよりも気楽だったのだろう。消灯時間を過ぎても眠れないで、看護婦詰所(当時はナース・ステーションなんていわなかった)へ行くと、長い間、遊び相手になってくれたことを覚えている。置いてある聴診器の使い方を教わったり、医学用語辞典から、わざと際どい言葉を選んで「これ、どういう意味か教えて」なんていったりしていたのは、栴檀は双葉より芳し、いや、こういう場合は、三つ子の魂百までと言うべきなのか。

 お正月や旧盆には、病棟の子どもたちの多くは、短くても一泊、退院間近の子は試験運転として一週間ほどの外泊を許された。僕はといえば、入院から八ヶ月が過ぎた旧盆にも外泊を許可されなかった。病棟で一泊も許されなかったのは僕だけだった。朝から、友人たちの親や兄弟が迎えに来て、病棟からは一人、二人と人が減っていく。最後の一人が帰って行き、そして日が暮れて、病棟は深閑とし、僕はひとりだった。母が、ある時間までは来てくれていたかも知れないが、記憶には残っていない。やがて消灯時間になって、部屋には、窓ガラスから差し込む庭の照明の薄明かり以外に何もない。横になってじっとしているが眠れない。起き上がってベッドに座っていると、入院して初めて、涙が溢れてきた。お正月も自宅で過ごせなかった。お盆も家に帰してもらえなかった。それがつらいのではなかった。日本には何千万人も子どもがいるだろうに、どうして「この僕」だけが選ばれたのか、それがわからなくて、いるのかどうかわからない神様を呪い、そして祈った。ひとしきり泣いて、灯りをつけて本を読んでいるといつしか眠ってしまった。

 秋口になって、急に体調が悪くなった。寝ていると、突然、鼓動が激しくなって息もできない気がして、入院して初めてナース・コールのボタンを押した。脈拍数は二〇〇を超えていて、このまま死ぬかも知れないと思うほど苦しいことが二度ほどあった。これは肝炎とは関係のない心因性のものだったようだが、同じ頃、激しい吐き気が襲ってきた。鏡を見ると白目が黄色くなっていた。このまま、どんどん病気が重くなって死んでしまうのかなあ、と思った。

 病棟にいると、死は身近なものだ。結核病棟の誰それが亡くなったそうだ、という話が数ヶ月に一度は流れてくる。結核は治ったが、喘息が治らずこちらの病棟に移ってきた晴美ちゃんが、急に具合が悪くなって、そのまま帰ってこなかったことがある。小さくて色が真っ白で髪が茶色で囁くくようにしゃべる小学校一年生の卓くんも、いなくなった。一般病棟から僕の隣室に運ばれてきたお年寄りが、明け方具合悪くなって、未明から看護婦さんや医師が入れ替わり立ち替わり、出入りしていたが、急に静かになってお亡くなりになったと知ったこともあった。
その後、看護婦さんに「死んじゃった人は怖くない?」と聞いたら「怖くないよ。死んじゃった人は何もしないから。生きてる人の方が怖いよ」と言われた。

 その時期は、大きく恢復するために必要な落ちこみだったのか、その後、検査結果が、劇的によくなった。十二月のある日、伊藤先生から「年が明けたら養護学校へ通っていいよ。三月まで行ってみて、大丈夫だったら、退院して、四月から地元の学校へ行けるよ」といわれた。
 そうして、その言葉どおり、僕は、中学二年生から、明智中学校に復帰することになった。学力テストも何もなく、校長先生が面接して「これなら元の学年にいれていいな」それでおわり。

 このようにして過ごした子ども病棟の十五ヶ月は、明らかに僕の本質を形づくっている。まだ、世の中を覆うシステムの網目が緩やかだった頃の、懐かしく、今では「幸せだった」といってもいい日々の記憶だ。

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April 13, 2011

これ以上ない空疎なことば

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 今週も花粉症のなか全力疾走の一週間だった。
 花は咲き、花は散り、季節はめぐり、日によっては汗ばむ日もふえてきた。
 被災地の皆さんは、暖かくなってどうなのだろうか。
 行方不明者の方々はどうなのだろうか。

 12日、首相は被災地の復興後の姿として
 「自然災害に強い地域社会」
 「地球環境と調和したシステム」
 「弱者に優しい社会」を例示。

 復興策の進め方として
 (1)被災地の要望を尊重
 (2)全国民の英知を結集
 (3)未来志向の復興――を挙げた。

 一国の総理が千年に一度の未曾有の災害にあって
 一ヶ月かかっていえる言葉が、これほど空疎で肉体性のないものであることに
 あたまがくらくらする。

 誰からも文句つけられないような言葉をならべておけばいい
 自分の考えは、はなからない
 復興会議をつくって、権力にしっぽふるポチばっかり集めて
 失敗しても「みんなで決めたことだから」と責任逃れをする

 この震災を機に、日本はこれまでのダメなシステムを総取っ替えして
 世界が驚嘆するような理想をかかげて
 それに向かって力づよく進んで行くのではないかと期待したが
 やっぱりダメなのか
 と悲しい気持ちがつのる

 でも、がんばろう

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April 10, 2011

78歳の政治家に都政を託せるのか

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 震災をきっかけにして、日本は根本的に変わる、変わらなければならないと思うのだが
 78歳の石原さんが(天罰発言にもかかわらず)都知事に当選。4回目。
 がっかりである。
 文学者としての石原さんは評価しますけど、政治家としては、とりわけこの数年はダメだとおもうけど、これが民意なのか。新しい船に乗り込むのは古い水夫ではないだろう。
 そうだとしても、2位が、そのまんま東っていうのもなぁ。。。

 いまごろになって、というべきか、iPadのすごさがじわじわと感じられる。
 自分自身も買ってみて、最初はおもしろかった。
 しばらくして、なんだやっぱり電話とカメラのついていないiPhoneのでかいやつに過ぎないかと感じた。
 ところが、最近、本や資料を自炊するようになって、その設計思想の奥深さがわかってきた。
 これは、これからの人生や仕事のありかたを変える。
 これだから、IT機器は買って、しっかり使ってみないとね。

 で、iPad用のスタイラス(画面に字や絵を書くペン状のもの)を買って、絵を書いてみた。

 という関連もあって、アップル創設期の立役者、もうひとりのスティーブ、スティーブ・ウオズ二アックの伝記『アップルを創った怪物』を読む。わくわくしながら、一晩で読了。

 

 

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April 08, 2011

時間制報酬のばかばかしさ

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ダニエル・ピンクの「モチベーション3.0」を読んでいたら、弁護士のタイムチャージ(時間制報酬)について、かなり長文を割いて言及していた。

《弁護士を個人としてではなく集団としてとらえた場合、どうしてあれほど不幸に見えるのかと思ったことはないだろうか。社会科学者のなかには、これについて三つの理由を挙げる者もいる。》

 そして、悲観主義、ゼロサムゲームにさらされていてwin-winの関係を気づきにくいことを挙げた後、しかし、最大の原因は、弁護士に自律性がないことだ、という。そして、自律性を失わせる大きな要因として「タイムチャージ制」を挙げる。

《残念なことに、弁護士業務の中心には、想像しうる限りもっとも自律性を損なうシステムが存在している。クライアントに請求できる仕事時間、つまり時間報酬だ。たいていの弁護士は名の知られた大手の法律事務所に属する弁護士ならほぼ全員がー多くの場合は六分単位で、綿密な時間記録をつける必要がある。より多くの時間をクライアントに請求しなければ、事務所は立ち行かなくなる。そのため必然的に、彼らの関心は仕事の"アウトプット"(クライアントの問題を解決する)から、"インプット"(できるかぎり多くの時間をかける)へと変わる。報酬が時間に基づいて生じているのなら、チャージできる時間こそが事務所が得ようとする目標となる。この種の高リスク高リターンで測定可能な目標は、内発的動機づけを枯渇させ、個人の主導権を奪い、さらには倫理に反する行為すら助長しかねない。

合衆国最高裁判所の首席裁判官を務めたウィリアム・レンキストは、かつてこう述べた。=時間あたり二〇〇〇ドル以上の請求額が当然だとされているなら、実際に必要な時間よりも多くの時間をかけようという誘惑にかられるにちがいない」
この時間報酬という仕組みは、〈モチベーション2・0>の遺産だ。フォードのトーラスの車体にドアをばめ込む仕事であれ、納税申告書の控除額の簡単な計算であれ、型どおりの仕事においてなら、多少は理に適っている。費やされた時間と、結果となる仕事量の間には、密接な関係があるからだ。その場合、従業員は根本的に怠けるものだという前提を起点とするならば、監視は彼らの油断を防ぐ効果があるかもしれない。
だが、クライアントに仕事時間を請求するような制度は、〈モチベーション3・0>には有害でさえある。弁護士の仕事も含めて、非ルーチンワークでは仕事量と仕事の成果の関連性は不規則で、予測がつかない。発明家のディーン・ケイメンや女優のヘレン・ミレンが、仕事時間に基づいて報酬を要求したらどうなるだろう?人はきちんと仕事をしたいと思っているものだ、という異なる前提を用いるなら、時間ではなく、仕事の結果、あるいは質そのものに焦点を合わせるべきだ。

すでに少数の法律事務所は、費やした時間ではなく、一律料金」を請求する体系を取り入れ、タイプーの方向へ進んでいる。ニューヨーク有数の弁護士事務所の首席パートナーは最近、「仕事時間をクライアントに請求するやり方は、もうやめるべきだ」と断言した。》

 どうでもいいけど、このNYタイムズの記事の弁護士の写真、本当に不幸そうだな。
 
 弁護士になったばかりのころ、僕もタイムチャージ制の事務所にいた。
 時間をかければかけるほど、たくさん請求できるのは、ほんとうに下らない、と思っていた。
 同じ仕事をするのに、時間がかかる者=無能な者ほどたくさん請求できるのは、この制度の本質的欠陥だ。
 僕が3ヶ月でわかったことを、NYの大手の法律事務所のごく一部がようやく気づきだしたらしい。


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April 07, 2011

火の手が上がったら

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 写真は、震災の翌日、訪れていた広島原爆資料館の展示物。世界の核弾頭配置を立体的に示してある。

 ところで、震災のような国難は、会社にたとえると倒産時のあれこれに似ている。
 平時のリーダーとして人望ある人が役に立つとは限らない。
 関係各方面の貴重なご意見をよく承り、なるべく皆から不満がでないようにして、熟慮の末に決定する、というようなことをしていると、あっというまに会社はいかれてしまう。
 有事の指揮官は、平時のヒエラルキーをとっぱらい、本当に有能な人物を年功に関係なく登用し、「すべてのしがらみを廃して目的のために専門知識を駆使して邁進せよ、責任は自分が負う」といえる人物でなければならない。そして、目的達成のために障害となることがらが起きたら、平時の意思決定プロセスをぶっとばして、それを排除できること。それが有事のリーダーの資質だ。民主主義は平時にしか機能しない。

 わざわざこんなことを書くのは、有事には「目的のためには手段を選ばず」という当たり前のありかたが機能しない実態に立て続けにふれたからである。
 
 家に火がついたときに、家族会議を開いて、この炎に対してどのように対処すべきか
 まずは、みなの率直な意見を開陳してもらおう
 なんてしていたら、家がなくなるんですよ。

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April 05, 2011

あっという間に春

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 うかうかしていたら、あっという間に、桜が咲き始めた。
 忙しく過ごしていたら、右半身がしびれてきて
 すわ、脳梗塞でも?とびびって、U先生に連絡して
 翌朝すぐに診察を受ける
 あれこれ調べてもらって、本日(4月5日)、そうではないことがはっきりした。
 徒然草で、持つべき友として3つをあげていて、そのひとつは医師なのだが
 今回、それを痛感した。
 弁護士は、持つべきではない友の筆頭かな。..

 福島の情勢は、相変わらず緊迫しているが
 だんだん皆、鈍感になっている。


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