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August 25, 2011

スティーブ・ジョブズによる祝辞 2005年6月12日 スタンフォード大学

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 スティーブ・ジョブズがアップルのCEO からの引退を表明しました。
 2005年にこのブログで訳した、スタンフォード大学での卒業式の祝辞を再度、記します。


 今日、世界最高の大学のひとつから巣立つ皆さんと同席できることを光栄に思います。私は大学を卒業していないので、今日は大学の卒業式に最も近い日、ということになります。皆さんに私の人生から、3つの話をします。そう、大げさなことじゃありません。3つだけです。

 最初の話は《点と点をつなぐ》ということです。 

 私はリード大学を半年で退学しました。でも、それから18ヶ月くらいは、本当に大学へ行かなくなるまで、もぐりで大学をうろうろしていました。じゃあ、私は、なぜ大学をやめたのか。


 私が生まれる前のことです。私を生んだ母は、若い未婚の大学院生でした。私が生まれたら養子に出すことにしていました。彼女は、私の養親は、大卒でなければならないと決めていました。それで、ある弁護士とその妻が、私を養子にすることになっていました。ところが私が生まれたら、彼らは「やっぱり女の子がいい」といいだしたんです。それで、順番待ちだった私の両親が、夜中に電話を受けるはめになりました。

 「思っていたのとちがって、男の子が生まれたんですけど、欲しいですか?」。
 両親は答えました。「もちろん」
 実母も後で知ったことですが、私の母は大卒ではなかったし、父は高校も出ていませんでした。だから、実母は、最初、養子縁組承諾書にサインをしませんでした。でも、両親が、必ず私を大学に行かせると約束して、実母は、養子縁組に応じたんです。

 17年後、私は大学に行くことになりました。でも、愚かにもスタンフォード並みに授業料の高い大学選んでしまい、庶民の父母は、私の授業料のために、貯金をすべて使い果たすことになりました。
 
 私は、半年で、大学は無意味だと思いました。自分が何をしたいかわからないし、大学が何の役に立つのかもわからない。なのに、両親は生涯かけて貯めた金を使い果たしてしまった。だから、大学は辞めると決めたんです。それでも、何もかもうまくいくと信じて。

 実際は、びくびくものでした。でも、思い返せば、人生最良の決断でした。
 面白くもない授業に出ないで、興味のある授業だけ聴けるんですから。

 色気なんてありませんでした。寮に部屋がないから、友達の部屋の床に寝ていました。食べ物のために、一本5セントのコーラの瓶を集めました。日曜の夜は7マイル(11.2km)歩いてハレ・クリシュナ寺院まで行って、おいしい食事を恵んでもらいました。

 楽しかった。興味と直感のままに、やりたいことをやっていました。後になって、それらが金に換えられない価値のあることだって分かったんです。たとえば、こんなことです。

 リード大学は、当時、米国内で最高のカリグラフィ(飾り文字)の指導をする大学でした。学内のいたる所、ポスター1枚から戸棚に貼るラベルまで、1枚1枚、美しい手書きのカリグラフィで書かれていました。私は大学を辞めて普通のクラスには出なくていい身分です。それで、カリグラフィの授業に出て勉強することにしたんです。セリフという書体やサンセリフの書体を覚えて、異なる書体の字間をどうやって調整するかとか、素晴らしいフォントを美しく見せるために何が必要かを学んだりしました。カリグラフィは美しく、歴史があって、科学では捉えることのできない繊細さを持つ世界で、実に魅力がありました。

 こんなことには、人生における実用性のかけらもありません。
 でも10年経って、初代のMacを設計している時、すべてを思い出しました。私たちは、いろんな書体をマックに備えるよう設計しました。それは、美しいフォントを備え、字間調節機能を持った最初のコンピュータになったのです。


 もし私が大学でカリグラフィのコースを取らなかったら、マックは複数の書体も、字間調整機能を持つフォントも備えることはなかったでしょう。ウィンドウズはマックのパクりですから、パソコンがそうした機能を備えないままになったかもしれません。私が大学を辞めなかったら、あのカリグラフィのクラスを取らなかったら、パソコンは、今のような素晴らしいフォントを備えていなかったかもしれないのです。もちろん学生が将来を予測して、今していることと将来なすべきことを繋ぐことなどできません。でも10年後に振り返ってみれば、はっきり繋がるんです。

 もう一度いいましょう。あらかじめ将来を予測して点と点をつなぐことはできない。振り返ったときに、それらを繋げることができるだけです。だから、今していることが、どんなかたちにせよ、将来に繋がることを信じるしかない。信じるものを持つしかない。本能、運命、命、業(ごう)、なんでもいい。私が信じてきた、それらが、私の人生に差異をもたらしてきたんです。

 次にお話しするのは、愛着と喪失に関する物語です。
 私はラッキーでした。人生の早い時期にほんとうにやりたいことを見つけたからです。ウォズと私は二十歳の時に、うちの両親のガレージでアップルを立ち上げました。懸命に働いて、ガレージに二人きりから、10年後には4000人の従業員を抱える20億ドルの企業に成長しました。そして、私たちは、最高の製品 マッキントッシュ を売り出して1年後に30歳になりました。
 それから、私は、会社を馘首(くび)になりました。何が悲しくて自分がはじめた会社を馘首になるんですか? 
 私は、会社が成長したので、我々と共に会社を経営してくれる才能あると思った人物を雇ったのです。1年かそこらはうまくいきました。でも、我々の未来に関する考え方はずれはじめ、最後には仲たがいをすることになりました。そうなったとき、取締役会のメンバーは彼の側につきました。そうして、私は30歳でアウトです。さらしものにされて、アウト。私が、大人になってからのすべてを賭けたものを失った。ぼろぼろでした。

 数ヶ月は何をしていいかわかりませんでした。私は、先輩の事業家たちをがっかりさせたと思いました。先輩たちが、私に手渡してくれようとしたバトンを落としてしまった。私は、デビッド・パッカードやボブ・ノイスに会って無様ななりゆきを詫びようともしました。私は、知る人ぞ知る落伍者でした。シリコンバレーから逃げ出したいとさえおもいました。

 けれど、徐々に光が差してきたのです。私は、まだ自分がなしたことに愛着を持っていました。アップルで我が身に起こったことで、その気持ちが揺るぐことは少しもありませんでした。私は、追い出された。けれど、私はまだ自分のなしたことを愛していました。だから、もう一度やり直そうと決心しました。

 その時はわかりませんでしたが、後に、アップルで我が身に起こったことは、最高の出来事だと思うようになりました。成功者としての重荷が、駆け出しの気楽さに変わり、何ごとにもとらわれなくなった。そうしたことが、私を人生において最も創造的な時期に解き放つことになったのです。


 それから5年の間に、私はNeXTという名の会社を興しました。もう一つはPixerという会社です。
 それから、後に私の妻となるすばらしい女性と恋に落ちました。
 
Pixerは、世界ではじめてコンピュータによるアニメをフィーチャーしたトイ・ストーリーという映画をつくり、今や世界でも最も成功したアニメーション製作会社になっています。
 それから、びっくりですが、アップルはNeXTを買収して、私はアップルに復帰しました。我々が、NeXTで開発した技術は、現在のマックの技術革新の中核をなしています。
 そして、ローレインと私は、すばらしい家庭を持っています。

 私は確信しています。私がアップルから追い出されるという事態がなければ、こうはいきませんでした。とてつもなく苦い薬でしたが、患者には必要だったのです。時に、人生はレンガの塊で頭を殴りつけるようなことをします。でも、信念を失ってはいけません。

 私を突き動かしていたものは、自分がやってきたことが好きでたまらない、という思いだけでした。自分が好きでたまらないことを探すのです。恋も仕事も同じです。仕事が生活に占める割合はどんどん増えていきます。その時、真に満ち足りているためには、自分が立派な仕事だと信じられることをするしかありません。そして、立派な仕事をするためには、好きでたまらないことをするほかありません。 まだそれを見つけていないなら、探し続けよう。あきらめないで。心に関わるすべてことはそうですが、見つけたときには、これだ、とわかります。そして、すばらしい関係が常にそうであるように、時間を経るごとにすばらしくなっていきます。だから、それを見つけるまで探し続けてください。あきらめないで。

 3つめの話は 死 についてです。
 17歳の時、こんな言葉が引用されているのを読みました。《毎日を、人生最後の日と思って生きよう。そうすれば、いつか必ず正しい自分になれる。》
 この言葉はとても印象に残り、それから33年間、私は毎朝、鏡に向かって自問します。

 《もし、今日が人生最後の日だったら、今日しようとしていることをやりたいか?》

 「ちがう」という日が続けば、何かを変えなければいけない、とわかるのです。

 自分がまもなく死ぬ、そう思うことは、人生における重要な選択のための道具でした。他人の期待とか、プライドとか、とまどったり失敗したりすることに対するおそれとか、死ぬことに向かえば何でもありません。本当に重要なことだけが残されます。自分が、今も死に向かっているんだ、と心に刻んでおくことは、何かを失うのではないか、という囚われを避ける最善の方法です。みな生来無一物です。心の指し示すままに生きてはいけなない理由などありません。

 1年ほど前に、私は、癌だと診断されました。朝の7時に画像診断を受けました。その時、膵臓にはっきりと腫瘍が見えたのです。私は、膵臓が何かもよくわかっていませんでした。医師は、不治の癌であることはまちがいなく、余命はせいぜい3ヶ月から6ヶ月であろう、といいました。そして、家へ帰って身辺を整理しなさい、といいました。それは、医者の言い方では、死ぬための準備をせよ、っていう暗号です。子どもたちに10年くらいかけて言おうとしていたことを、数ヶ月でいっておけ、ということです。家族が簡単にあとの処理をできるように、なんでもちゃんとしておけ、いろんな人に、さよならをいっておけ、ということ。

 私は、一日、その診断を思いながら過ごしました。その日の夕方遅くに、生体組織検査を受けました。内視鏡を喉から、胃、腸へと挿入して、膵臓から腫瘍の細胞を少し取ったんです。私は、麻酔をかけられていたので、覚えていないのですが、そこにいた妻によれば、医師達は、細胞を顕微鏡で見ると泣き出したそうです。私の膵臓癌は、手術で治癒可能な極めてまれな癌だったのです。私は、手術を受けて、今は元気です。

 これは私が最も死に近づいた経験であり、できるならば、あと数十年は、もう近づきたくない経験です。そして、この経験をしたからこそ、死が単に知識だった時よりも、確信を持って言えることがあります。

 誰も死にたくはない。死して天国に行けると信じている人たちですら、死にたくはない。
 それでも、死は誰にも避けられない最終到着地です。だれ一人としてそれから逃れた者はいない。
 そして、そうあるべきなのです。死は、生命が生み出したひとつの、そして最高の創造物だからです。死は、人生を変える。古きものを一掃し、新しきもののための道を通す。
 
 いま、新しきものは皆さんです。しかし、そう遠くない将来、みな徐々に古びてゆく、やがて消え去るのです。芝居がかっていてごめんなさい、でも、これが真実です。

 時間は有限です。他人のために時間を浪費してはいけません。定説に囚われてはだめです。
 それは、他の誰かの考えの残り滓にしかすぎません。他人の考えのノイズに、あなた自身の内なる声をかき消されないように。一番重要なことは、あなたの魂と内なる声に従う勇気を持つことです。それらは、どうしてか、あなたが本当になりたいものを知っているのです。それ以外のことは、すべて二の次にすぎません。

 私が若いとき「全地球カタログ」という素晴らしい本がありました。
 それは、私たちの世代のバイブルでした。その本は、ここからそう遠くないメロン・パークに住むスチュワート・ブランドという人が生み出し詩的な生命を吹き込みました。
 1960年代の終わりで、パーソナル・コンピュータも、DTPもなく、すべてはタイプとハサミとポラロイドカメラで作られていました。いってみれば、ペーパーバックでできたグーグルみたいなものです。理想を掲げ、小気味のよい小道具と、すばらしい知見に溢れていました。

 スチュワートと彼の仲間は、全地球カタログをたくさん発刊して、なすべきことをなしおえて、最終号を出すことになりました。1970年代の半ば、私が皆さんくらいの歳のころです。背表紙は、朝早くの田舎道の写真でした。冒険が好きならヒッチハイクで行ってみたくなるような道です。

 その下に、言葉がありました。


 《欲張りでいよう バカのままで》

 それが彼らのさよならのメッセージでした。

 《求めつづける愚か者であれ》

 
いつもそうありたいと思ってきました。
 そして、いま卒業を迎えた皆さんにそうあってほしいと思ってます。

 Stay Hungry. Stay Foolish.

 どうもありがとう。

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