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November 30, 2012

Yuming & プロコルハルム

Yuming_1612

 ジョイント・コンサートの2日目に行ってきました。

 単にふたり(組)のアーティストが交代にステージに出るのではなく、ユーミンがプロコルハルムをバックに、彼らの曲を歌い、プロコルハルムが、ユーミンの曲を彼らのアレンジで演奏する。
 
 ユーミンは、自分を音楽の世界へ導いてくれたバンドと共演できるということで、少女のように初々しい。悪くいえばぎこちないのだけど、本当に「初心にかえって」演奏し、ステージを務めている感じだった。しかし、2日めで、この緊張、初日はどうだったのだろう。

 プロコルハルムの演奏は、すばらしかった。
 失礼ながら、ユーミンのバックは比較されると気の毒なほど。
 
 最後の『青い影』では、おもわず目尻が熱くなり、涙がこぼれた。

『自分の感性を育ててくれた存在が、現役でいてくれるってことは、なんてすばらしいんだろう。そう思ってくれる人がいる限り、自分も、がんばろうと思う。』

 最近、心ない評価をされることが多いユーミンだが、このコンサートで、本当に初心にかえったといえるかもしれない。そうして、きっと近々、転生=reincarnationを果たすことだろう。

 


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November 28, 2012

息子の曲がCMになりました

息子の曲が、カロリーメイトの広告に使われました。
といっても、本編じゃなくて、メイキングなんだけど。

下記のページに、60秒、30秒、15秒、メイキングってあるんだけど、メイキングを観てください。
前半は、満島ひかりさんが歌う『Fight』、後半が息子のバンドWeWantWineの『Cinnamon Girl』の一部です。
http://www.otsuka.co.jp/cmt/cm/index.html

CMでは、サビまでたどり着いていないので、全曲お聴きいただきたい場合は、こちらへ。
http://soundcloud.com/wewantwine/sets/mc/
2曲目です。

それにしても、満島さん、唄うまいなあ。
曲がまたいいですね。
中島みゆきが、あれやこれや大変だった吉田拓郎になりかわってつくってくれた曲。

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うれしいこと2つ

11月27日(火)
夕刻、数年前に会社をたたむのをお手伝いした件で、役員のひとりであったHさんが来訪。息子さんも一緒に。

私が、会社のこととは別にアドバイスしたことで、いろいろうまくいったので、とお礼にきてくださった。
守秘義務だとかプライバシーだとかあるので、詳しいことが書けないのが残念であるが、自分の知識と経験をかけて進言したことが、ご家族の(それも老後の)生活を、少しでもゆたかにできたことと、それを、きちんと受け止めて評価してくださったことがうれしい。

11月28日(水)
顧問先のFさんが法律相談にいらっしゃるのに、ボスの秘書を長く務められたA・Tさんも一緒に来所。
長く務めた仕事をやめて、しばらく充電し、別の場所でまた仕事をされるとのこと。
僕と担当の久保弁護士に、それぞれ記念の品をくださった。
僕には、crossのボールポイント。

Crossfmaya

長く愛用していて、どこかでなくしてしまったのと同じもの。
おそらくはご自身でラッピングしてくださってきたものと思う。
ありがとうございます。
大切に使います。

仕事は人生の大事な一部で、その中で、多くの出会いと別れがありますが、こんな風にしてもらえることは、まれなことで、とってもうれしいです。
次の仕事でも、持ち前の明るさと元気でご活躍ください!

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新しい世代の慶事

11月18日(日)

姪の侑衣子が挙式。
我々の次の世代の初めての結婚式。
温かい、よい披露宴。
最後に、当日の様子が、立派なPVになって流れたのにはたまげた。

Yuikohiroen

19日(月)
59期2組の関東クラス会。

22日(木)
妻の誕生日。
人形町の喜寿司でお祝い。
娘がコラージュを作ってくれた。
Yayoibd

翌日からは、みさきへ、妻、義母、義妹と。
前日、井のなかへ立ち寄ったら、スズキを半身くださったので、グリルする。

Suzuki

店長の沙織さんから、妻の誕生日に手作りの料理なんてかっこよすぎですよ、とメールをいただく。

Potesara

ポテトサラダといえども、作り方によっては、とってもおいしい。

お庭には、ゆずができた。
Yuzu

寒くなってきたので、メイも一緒に寝るようになった。

Mei1211


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November 13, 2012

iPad mini到着 りんご3兄弟そろい踏み

Apple

照明の関係で色が黄色いけど、実際は白です。

iPadーminiが到着。
自覚的に、Appleの戦略に乗せられて、今年は、新型iPad、iPhone5、iPad miniを買ってしもうた。

iPad mini、いいです。
日本人で非力な僕には重さも大きさもちょうどいい。
体感的には、iPadの3分の1くらいの重さ感。
画面は、ほぼ四六判(日本の文芸書のサイズ)。
ジョニー・アイブは、おそらく日本の書籍のサイズを参考にしたものと思われる(という報道はないが)。

ギターでいうと(って、そんな例え、みんなわかんないだろうが)、iPadがD28 なら、iPad miniは、000-28。

以前、ずっと愛用していたA5版のシステム手帳がデジタル化された感じ。
これはいい!

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日本は成熟社会か(宋文洲さんのメルマガ転載です)

 宋文洲さんは、むかし「やっぱり変だよ日本の営業」を読んで、感想をメールしたところ、近いからご飯食べよう、といわれ、一緒にカレーを食べたことがある。

 メルマガを送って頂いているが、毎回、共感することが多い。
 
 以下、宋さんのメルマガ 2012.11.9(第211号) 日本は成熟社会か(論長論短 No.178)の引用(転載)です。

 第最近、気になる言葉があります。それはよく人々の話に出てくる「日本は成熟社会だ」という「定説」です。何を持って成熟したと言っているのでしょうか。

政治といえばいつまでも政権交代がメインテーマで、地方分権、経済成長と国際化などの前向きの議論になりません。暴動が起きない安定性は羨ましいのですが、毎年総理が変わる政治は果たして成熟政治でしょうか。

政権ごとに過去への解釈と態度が変わり、両国トップ間の約束を「外交文書にしていない」といって無視するような外交は果たして成熟外交でしょうか。今後誰が日本のトップとの会話を信用するのでしょうか。

企業に未だに「年功序列」、「終身雇用」、「男尊女卑」などの古い風習が蔓延り、若者と女性の才能を活かせない経済は成熟経済でしょうか。企業と個人間に未だに契約書すら存在しない雇用関係は成熟した労使関係でしょうか。

ベンチャー精神が後退し、若者が海外に出て行かず、行動範囲がどんどん小さくなる社会は成熟と言うでしょうか。若者の闘争心と競争心の無さを豊かさのせいにするのは成熟社会の必然でしょうか。

ここ30年間、日本は進化したところがたくさんあります。しかし、それは成熟とはほど遠いものです。それを一番象徴しているのは人間の力にあります。人間の精神がどんどん幼稚化しているのに社会がどうして成熟したと言えるのでしょうか。社会とは人間社会のことではないのでしょうか。

私は「老害」を批判しながらも、尊敬している人の大半は「年寄り」であることに自分も驚きます。よくよく考えて気付きましたが、彼らを昔から尊敬していたのです。年寄りを尊敬しているのではなく、尊敬している人が年をとっただけです。

「暴走老人」にしても「老害」にしても、結局周囲に彼らを止めるだけの力量を持つ次世代のリーダーが居ないから、老人の「暴走」と「害」を許しているのです。成熟すべき世代が成熟しないのだから、社会全体が未熟に向かうのです。

尖閣問題はその典型なのです。「石原さんが買うから、仕方がなく国が買った」というロジックが通じるのは今の日本だけです。「営業部長がやるというから会社が仕方なくやりました」という経営者は成熟した経営者でしょうか。

外国では通じないだけではなく、20年前の日本にもあり得ないことです。重大な外交問題と国策が国政選挙も通っていない一老人に左右されるならば、その国の外交は安定性と信用性がない未熟外交です。

1980年代、石原さんは今と同じように国会でいろいろと奇抜な発言をしたのです。自民党の政治家が「あなたは小説ばかりを言わないで政治家として大説を語ったらどうだい」と一喝したものです。そういう成熟さがあるからこそ、日本は安定政治を維持し、経済成長にエネルギーを集中させたと思います。

我々企業経営者には「成熟経営」を語る人はいません。笑われます。なぜならば企業には成長と衰退しかないからです。成熟は衰退を意味します。

しかし、衰退は決して怖いものではありません。長い旅の中の一休みと思えばいいのです。大切なのは衰退を誤魔化さず、素直に認識することです。衰退を成熟と言って誤魔化しているうちには成長はありません。

明日は人生ではじめて友人の結婚式で仲人を務めます。久しぶりに聞く「未熟者ですが・・・」という新婚さんのご挨拶を楽しみにしています。「未熟」には夢と希望があります。

(終わり)

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November 11, 2012

子どもたちが料理をすれば

 はじめて料理をした日のこと。
 まだ9歳だった僕は、飼い犬のキャブと留守番をしていた。
 日が暮れてお腹がぺこぺこになっても、母は帰ってこなかった。耐えきれなくなって、風邪をひいたときに母がつくってくれた卵入りのお粥をつくってみることにした。
 水と冷えたご飯を鍋に入れ、おそるおそるガスコンロに火をつけて、鍋をのせた。煮立ったところに卵を入れてかき回した。黄色だけでは、何かが足りない気がして、葱の青いところを切って入れてみた。味付けには、塩をスプーン2杯ほど入れた気がする。
 すばらしく美味しそうな黄色に緑が散ったお粥ができた。
 ご飯茶碗に取って、すこし冷ましてから、口に入れた。
 まずくて、二口と食べられなかった。キャブにもやらなかった。
 食べられないお粥の入った鍋と茶碗を前に、薄暗い台所で泣きそうになって、母の帰りを待った。
 やっと帰ってきた母は「自分で作った!? おいしそうにできたねえ!」といってくれたが、僕は「まずくて食べれん」と答えた。
 母は、ひとくち食べて、笑いながら「ちょっと、からかったねえ」といって、母の方法で卵入りのお粥をつくってくれた。その日、僕は、塩、醤油、出汁の使い方、そして火加減ということを知った。

 その日以後、僕はしばしば、夕食をつくる母の横にくっついて、いろいろな料理を手伝うようになった。コロッケを作ったのをよく覚えているのは母との共同作業が楽しかったからだろう。ゆでたジャガイモを僕がつぶす。その間に母はタマネギと挽き肉を炒め、味付けをする。混ぜ合わせたら、コロッケの形ににぎる。母は小判型。僕は俵型やまん丸なのもつくった。お腹がすいているときは、丸めたのをそのまま食べたりした。
 それから、小麦粉、溶き卵、パン粉をつける、の3工程をリレーする。だんだん、卵入りの小麦粉、あるいは、卵入りのパン粉が、僕の手に層をなしていく。父が帰ってきたらコロッケを揚げ始め、たくさんのキャベツの千切りに乗せ、揚げたてに、ウスターソースとケチャップを混ぜたのをかけて食べる。
 コロッケ作りは、完全に僕の身につき、妻とつきあうようになって、初めてつくってあげたのもコロッケだった。いまでも、妻はその時の感動を口にする。

 中学を卒業し、僕は故郷の町を離れ、高校の隣の伊藤自動車という修理屋さんに下宿することになった。下宿というより民間の寄宿舎みたいで、十数人の高校生と予備校生が暮らしていて、週末以外は3食付きだった、しかし、伊藤さんご一家は、食にまったく関心のない方々で、朝ご飯につく卵は、割ると真っ平らになっていたし、お弁当のおかずが醤油で煮た竹輪一本だったりした。
 他の下宿生と何度も「改善してほしいけど、伊藤さん一家も同じものを食べているんだから、いえないよね」とため息をついた。下宿生が調理場を使うことは許されておらず、自作できたのは、自分の部屋で電熱器を使ってつくるインスタント・ラーメンだけだった。

 高校卒業後、夏休みに中学時代の親しい仲間が集まって料理を作ったことがあった。場所は、みどりの家だった。何を作ったのかは覚えていないのだが、鮮明に覚えていることがある。
 僕は、洗った人参を銀杏切りにしようとまな板に置いて包丁を構えた。それを見ていたみどりが、左手を伸ばし、僕の左手の甲に、手のひらを重ねた。人差し指から小指まで、僕の指に彼女の指を重ねて、指先を内側に丸めた。彼女が指を丸めたから、僕の四本の指も自然に丸くなった。
「こうやって、猫みたいにしないと、危ないよ」といって、みどりは重ねた手をはなした。

 二十歳の頃だったと思うけれど、玉村豊男さんの『料理の四面体』を読んだ。アルジェリアの砂漠のエピソードは鮮烈だ。記憶だけで書くと、玉村さんが砂漠で出会った旅人は、粗末な鍋を火にかけ、オリーブ油を熱し、大蒜のかけらを投げ入れ、羊肉の表面に焼き色をつけた。それから、トマトを何個も握りつぶして入れ、蓋をして火を弱める。十分に火が通ったら、塩と唐辛子で味を調え、振る舞ってくれる。水もない場所で、材料はすべて持ち歩いている麻袋から取り出し、立ったままナイフ一本で作られたこのシチューを基点にして、玉村さんは、料理の基本原理を解き明かしていく。この本を読んで、どんな料理でも作ることができる魔法を身につけた気がした。

 料理は本当に楽しい。美味しい食べ物を嫌いな人はいなくて、心をこめて料理されたものを食べたら、みんな幸せになって元気がでる。世界中、同じだ。
 子どもたちが、一つ料理を覚えれば自信がついて、世界は少しだけいい方に変わる。できた料理を誰かと一緒に食べたら、もっといい。

【読み書きクラブ 第2期 11月】

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November 03, 2012

人間らしさを失わずに仕事をすること

Img_1514

 昨日、若手の弁護士さん、司法修習生、今年の司法試験の合格者に向けて

「弁護士大増員時代に、人間らしさを失わずにゆたかに仕事をする方法」という内容でお話しをした。

 いずれ、実在する組織の差し障りのあるエピソードについて固有名詞をぼかした形で全文公開したいと思っている。

 早速、数名の方から感想をいただいた。

 ある方の感想を抄録する。

《私は常々ワークライフバランスを考えた働き方がしたいと考えておりました。
 私の父は外資系の会社で働いており、忙しいときでなければ平日も7時半には家に帰るので、私の家はほとんど毎日家族全員で夕飯を食べます。
 父は夏休みもしっかりととり、今年も夏休みを利用して家族で北陸旅行に行きました。

 しかし、友人たちに、ワークライフバランスの話をしても、「弁護士はそんな働き方はできない」「終電で帰れる事務所なら良い方だ」と言われるばかりで、さらには「ワークライフバランスを考えているならなぜ弁護士を目指したのか」等と言われることもしょっちゅうです。

 先生の事務所に伺って、最も衝撃を受けたのはワークライフバランスの点でした。
 先生を始めとして、アソシエイトの先生方も、家族との時間や趣味の時間を確保しつつ、ゆたかに仕事をされており、やり方次第では弁護士であってもワークライフバランスを考えた働き方ができるのだと気付かされ、非常に嬉しくなったのを覚えています。

 また、ワーキングマザーをすすんで雇用する等、先生はそんなのはむしろ当然のことなのだ、というようにおっしゃっていましたが、実践している弁護士はほとんどいないと思います。
 先生のような考え方の弁護士が増えることを願うばかりです。》

 私が話をした後、懇親会の席でも、なんとも根強い「長時間労働信仰」やら「日本の組織では『できるひとより、いい人でなければならない』」みたいな話をたくさん聞いた。

 仕事は際限のない奉仕ではない。
 契約どおりの仕事を、ぎりぎりの集中力をもって時間内にこなし、
 それ以外の時間は、家族と共にすごし、あるいは、職場と職業を超えた人・文化・芸術にふれること。
 それが、人間として、当たり前なのだ。

 それは近代憲法には「生存権」「幸福追求権」として規定されていて、国家の目標は、国民がそのような生活を送れるような基盤を整備することなのである。
 それと現状の豊かさを維持することを併存させることなどは、ごく簡単なことだということが、我が国の常識に登録されるには、まだまだ時間がかかりそうだ。

 余生のかなりの時間は、このために費やすことになる予感がしている。


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