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January 31, 2013

義母の転院

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 昨年の12月4日に入院して以来、たいへんな日々を過ごしていた義母が、回復期リハビリテーション病院へ転院できた。

 ご存じない方のために書いておくと、現在の病院は、その機能別に

 急性期病院
 回復期リハビリテーション病院
 一般病院
 療養型病院

 と分かれている。

 そして、回復期リハビリテーション病院へ移るためには、発症から2ヶ月以内に転院しなければならない、ということになっている。
 それを過ぎてしまったら、一般病院か療養型病院へしか行けない。

 しかし、回復期リハビリテーション病院への転院は、簡単なことではなかった。

 そもそも、その「病名」を受けれてくれるかどうか、というハードルがある。
 脳出血や脳梗塞などは、比較的受け容れられやすいようだが、義母は、病名自体が未だに「暫定的」なもので、その点に第一のハードルがあった。

 次いで、その「病状」が受けれられるレベルにあるかどうか、が問題である。
 回復期リハビリテーション病院は、その名のとおり、しっかりとしたリハビリテーションを施し、少なくとも8割の人を150日以内に自宅で生活できるまでに回復させることを目的としている。
 だから、義母の「病状」が150日のリハビリで、そのレベルまで回復できないのだとしたら、受け容れてもらえない。

 さらには、定員の問題がある。空き病床がなければだめである。
 
 病院側の事情ではないが、家族からすれば、あまり遠いところでも困る。

 義母は、1月の上旬までは、まだまだ、リハビリテーション病院への転院を考えられるようなレベルになく、急激に回復してきた1月下旬から、ソーシャル・ワーカーの方と相談しはじめた。
 相談し始めてからも、母の回復はめざましく、そして、奇跡的に、一つだけ、受け容れてくれる病院がみつかった。

 めでたく、本日、転院。
 
 一時は、片目以外動かなかった母だが、自分でお礼の文字を書くことができた。

 桜が咲く頃、僕の母と会わせてあげられるくらいに回復できるように、家族みんなで応援しようと思う。
 
 この2ヶ月間の、みなさまのお心遣いに心から感謝いたします。
 
 


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January 23, 2013

and Life goes on

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January 22, 2013

「当職」と「ございます」の禁止

 事務所の弁護士たちに出したメールを一部なおしてアップします。
 これから書くレターには「当職」「ございます」という言葉を禁止する、と通告した、そのフォローです。

(以下引用)

 みなさま

 近々、「当職」と「ございます」以外にも、まとめてお話しする機会を設けたいと考えています。

 なので、短い補足です(といいつつ長くなるかもしれません)。

 言語には「排他性」があります。
 仲間以外を、しりぞける機能です。

 ぎろっぽんでよ、きのう、ちゃんねーとしーすして。

 これは(昔の)バンドマンの隠語ですが

 六本木で、きのう、ねえちゃんと寿司をたべた。

 という意味です。

 僕から見ると、みなさんの書いている(ある種の)レター類は、もう、これに近いものがあります。

 修習生の頃から思っていたことです。
 当事務所のみなさんに固有のことでもありません。
 僕にいわせれば、業界全体の病です。

 「市民のための司法」とか、くだらないお題目いっている前に、業界全体で、一般人に嫌われない、一般人に理解してもらえる、一般人に行動を促せる文章作法を身につけることを考えましょうよ、というのがいいたいことです。

 具体的に論じます。
 実際の起案例を素材につかいます(Iさんのを素材につかいますが、それが、とりわけひどいというものではないです。みんなこんな感じです)。

『当職らはこのたび●●氏から委任を受け、●●氏と貴殿との△△、○○○○と貴殿との□についての代理人に就任しました。』


 この一文は、排他性に充ち満ちています。

当職らはこのたび●●氏から委任を受け●●氏と貴殿との△△、○○○○と貴殿との□についての代理人に就任しました。』

 アンダーラインしたのは、全部「排他キーワード」です。
 法曹以外のひとに、違和感、嫌悪感、疎外感をもたらす単語です。
 むつかしいことを言うわけではありません。

 「当職ら」って、一般の社会でつかっている人いますか?
 いまどき、警察官だって「本官は」とかいいません。

 自分の依頼者=お客様のこと「○○氏」っていいますか?

 おなじく「委任をうけ」って一般人はいいますか?
 初対面の相手に「貴殿」っていいますか?

 以下省略しますが、これらの総体が「弁護士って、なんだか、俺たちとちがう世界の住民だな」って思わせているんです。

 それだけならいいけど、話し合いを申し込む段階で「反感」かってどうするんですか。いくら相手が●●でも、いや、だからこそ、申し入れ方には慎重のうえにも、慎重を期さねばなりません。

 それで僕は、以下のように直しました。

『突然、書状にてご連絡する失礼をお許し下さい。
 この書状は、○○○○さん、●●さんからのご依頼によりお送りするものです。』

 これ以上は、別の機会に譲りますが、このくらいの使い分けは、言葉のプロである弁護士であれば、自在に繰れるべきです。少なくとも、それを目指すべきです。そうしない、できないというのは志が低いといわざるをえません。自分たちの内輪の用語でしゃべり、書いていて、どうして「外の人たち」を動かせるのでしょう。

 Tさんの質問にもどります。

 おそらく、高圧的に相手に「わざと排他キーワードをみせつける」ようなケースを考えているのではないかと思います。そういうケースはありえます。

 『当職らは、以下のとおり催告する。』みたいなの。

 これもよくいうことですが、言葉のプロである以上、

 高圧的
 やや威圧的
 ふつう
 ていねい
 いちじるしく丁寧

 の五段階くらいは自在に使い分けられるようでなければなりません。高圧的な場合の「道具」として、「当職ら」を使えることは必要です。でも「内容証明だから」というだけで、自動的に「当職ら」ではじめるというのは感心しません。相手が刑事犯であるくらいのケースだけですね。これは。

「ございます」の禁止は、この裏側です。
 これは上記の「いちじるしく丁寧」の場合だけにしてほしいです。
 日本人は一般にへりくだりすぎで、その傾向は年々、極端になっています。
 いちいち相手と自分の上下関係を図りながらしゃべったり書いたりするのは、もうやめましょう。
 それは、一学年上なら、それだけで「えらい」という、意味のわからない日本のローカル・ルールの延長です。

 あと、ちがう角度の話ですが、日本は主語がなくても成立する言語です。

 こういう本もあるくらい。

 『日本語に主語はいらない』

 冒頭のIさんのサンプルから「当職ら」を除いてください。
 まったく問題なく成立しますよね。
 
 で、みなさん、いつも主語を省略しないで書くから「うるさい」文章になるんです。主語は「契約書」以外ではいりません。契約書は「過ちが起きたときに依拠する基準」です。しかし、レターは、相手に何らかの「行動」を起こしてもらう文書です。

 やっぱり長くなったので、これくらいにします。

 ともかく、内輪の隠語と、定型的なスタイルに逃げ込むな。

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January 13, 2013

失いそうになって気づくもの

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 まことに目まぐるしい仕事始めの5日間であった。
 疲労困憊して、12日の「読み書きクラブ」ことし初めての例会は欠礼。
 
 12月4日に入院した義母の12月分の治療費の請求があった。
 保険点数にして、ほぼ40万点。1点10円です。
 いかに義母の闘病が凄まじいものであったか、この請求でもわかる。
 義母は、ほんとうによくがんばってくれた。それを支えた家族も。
 そして、墨東病院のドクター、ナースをはじめとする皆さんの努力に心から敬意を捧げと感謝を申し上げたい。本当に、ありがとうございます。

 母は後期高齢者なので、自己負担額の上限は4万4400円であるから、総額の1.1%にすぎない。
 こうして当事者の立場になると、日本の医療保険制度は、ほんとうにすごい。

 アメリカには、公的医療保険はなく、民間保険会社に加入しなければ、すべて自己負担である。
 瀕死の状態で病院へ行っても、支払能力がないと判断されれば治療が受けられない。
 民間の保険会社の保険に加入していれば安心か、というと、保険会社は収益を出すために、保険料の支払いに関して厳しい査定をする。このような治療は必要がなかった、として支払いをしてくれないことも多々ある。医療機関をも支配下において、あるべき治療内容に口出しをして、保険料の支払額を極小化しようとする。

 このあたりの事情は、堤未果さんの「ルポ 貧困大国アメリカ」にくわしい。

 私は、誰もがお金の心配なく、最高レベルの治療を受けられる、という現在の医療保険制度は(あれこれ改善の余地はあるにせよ)、日本が世界に誇れるものであると思う。

 医療制度、よき教育、治安、健全な司法、田園、自然環境。
 本当に大切なものは、それを失って、あるいは失いそうになってはじめて気づく。

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January 05, 2013

新年も笑顔で

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2012年(平成25年)1月4日 かんぽの宿 恵那にて

昨年、義父の池谷雅一が他界し、新年のごあいさつは欠礼いたしました。
みなさまの近況を知りたいので、昨年中に、欠礼のご挨拶状をだすことをしませんでした。
ご無礼の段、お許しください。

今年のお正月は、東京の自宅ですごしました。
家族は年末年始も、交代で義母の病室に詰めているなか、私は、家の料理番として、毎晩、温かい食事を作ることを心がけておりました。

非常時であっても、あるいは、非常時であるからこそ、日常の姿勢やリズムをくずさないように心がけること。昨年12月4日に義母が入院してから、私が心がけ、また、義母の家族に言い続けていたことは、そのことでした。

背筋を伸ばし、深く呼吸をし、身体と衣服を清潔に保ち、定時に温かい食事をとる。
こころと体の疲労を否定せず、疲れたら運動をして、筋肉の可動域をひろげ、適度に脈拍数をあげ、体液の流れをよくし、睡眠は毎日しっかり取る。
できごとに対して肯定的に反応し、笑顔をわすれない。
僕が、義母に対して直接できることは限られているので、それが自分の役割だと思い定めていました。

大晦日には家族と義妹と甥で牛鍋を囲みました。
新年には、室内の塵を払い清め、いただきものを重箱につめたおせちと温かいお雑煮で、新年を寿ぎました。
2日の朝は、郷里の習慣に従い「とろろご飯」をいただきました。

3日〜4日は、私と准介・早紀は郷里の恵那市へ向かいました。
特別養護老人ホームに入っている母を連れだし、みんなで、新春の陽光と恵那峡のすばらしい景色、そして家族で母を囲んでの食事を楽しみました。准介と早紀は、トイレの世話もふくめ、しっかりと面倒をみてくれました。

むかしは、日常とは、毎日同じことを繰り返す退屈と同義なのではないかと思っていました。
いまは、変わらぬ日常があるからこそ、小さな変化にも敏感でいられるのだと思っています。
今年も、いまここにある日常を大切にして、上機嫌で生きて行きたいと思います。

さくらの季節には、東京で療養している義母と母を会わせてやれればいいなと思いつつ、新年の心境を綴って、ご挨拶に代えます。

みなさまの毎日が、笑顔に満ちたものでありますように!

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