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January 19, 2015

兄一周忌と音楽の神さま



 1月18日は、昨年の1月22日に逝去した長兄崇雄の一周忌の法要。
 高円寺の鳳林寺へ。
 法要ののち、食事をいただいて、銀座へ移動。

 午後は、大学のクラブのOB会(コンサート)。
 午後3時〜9時まで、合計20バンドがでる長丁場。

 僕も3つのバンドで参加した。

○ Ojing + 大三元
  たとえば(小田和正 さだまさし)
  島人の宝(ビギン)
  街は夕暮れ(上野真理子)
  Woh Woh(小田和正)
  愛と風のように(Buzz)

○ 古川バンド
  街角(泉谷しげる)
  Thank You(僕のOriginal)
  落陽(吉田拓郎)

○ 近藤准介+父
  ぐるぐる(准介のOriginal)
  砂の城(同上)

 この日のために、古い仲間や新しく知り合った方たち、そして息子と練習を重ねた。
 前日も夜の8時に集まって午前まで練習した。

 他の人たち、バンドの面々も、それぞれの都合をやりくりして、この日のために練習を重ねたことだろう。
 そのおかげあってか、フォークから、Pops、Fusion、ハードロック、JAZZまで、クラシック以外のオールジャンル、世代格差も30歳以上の6時間にわたるコンサートは、少しも飽きることなく最後まで、楽しむことができた。妻は「音楽の神さまが降りてきた」といっていた。

 最初のユニットで演奏した「島人の宝」は、兄が亡くなる前に、一緒に演奏しようと声をかけてくれた曲。ふたりで、武蔵野市の市民農園の夏祭りで演奏したのが、兄と人前で演奏した最後の思い出になった。

 昨日は、少しアレンジを変えて、ボサノバのリズムで演奏した。

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January 07, 2015

水上保治先生のこと



 昨年の12月13日に、尊敬する税理士の水上保治先生がお亡くなりになったとの報せを受けた。
 僕の父と同じ大正15年のお生まれだったので、天寿を全うされたといってよいだろう。
 税理士業界においては、リーダー的なお立場だったときいている。

 水上先生とは、ある工務店の内紛にからんで、初めてお目にかかった。
 その会社は、水上先生の顧問先で長男が社長、次男が専務。
 内紛が起きて、専務からご依頼を受けた。
 まだ、弁護士になって数年目の駆け出しのころだった。

 社長サイドにも弁護士はついたが、案件のリーダーシップを握られたのは税理士の水上先生だった。
 駆け出しの弁護士の僕を、水上先生は、対等なプロフェショナルとして遇して下さり、年長であるとか、自分の方が経験があるとか、そんな態度は微塵もお見せにならなかった。

 最初にお目にかかった際におっしゃったのは

「近藤先生、これは兄弟の争いです。
 家族が争うなんてことは、いいことではない。
 それぞれに言い分はあろうけれども、先生と私が力を合わせて、できるだけ早く、円満なかたちでこれを終息させることに力を注ぎましょう。
 私が長男の顧問、近藤先生が次男の代理人という立場だけれども、これまで仲良く、家業を発展させてきた○○工務店のさらなる発展につながるように、私と近藤先生が力を尽くして、つまらない争いごとは、はやく終結させましょう。」

 そういう言葉だった。

 アメリカ式の「対立当事者主義」とでもいう考え方が「進んでいる」といわれていた時代でもあったし(いまも、そうかな?)、弁護士経験のまだ短かった僕は、水上先生のお言葉を、額面どおりに受け取ってよいかどうかについては、迷いもあった。

 しかし、理性ではなく、身体感覚で、僕は水上先生の発言に共感した。

 それから1年近くかかって、案件は無事に、和解によって終えることができた。
 調停も訴訟もなく、話し合いによって。

 水上先生のなさったことは、紛争の一方当事者の代理人的なことだった。
 厳密にいえば、弁護士法にふれるような部分もあったかもしれない。
 しかし、弁護士がなすべきことは「問題解決」である。
 問題解決に資するならば、弁護士法なんてどうでもいい。

 この案件を通じて、僕は水上先生を深く尊敬し、影響を受けることとなった。
 いまの僕の事務所の内装の基本レイアウト、スタッフに対する教育、クライアントに対する接し方、すべてにおいて、水上先生の影響を受けて、実践した。

 水上先生も、僕を、評価して下さった。
 先生の顧問先で、法律問題が起きると、経験年数も乏しい僕に紹介してくださることが続いた。
 いまも顧問を務めているいくつもの会社がある。

 後に聞いたことだが、僕の仕事の進め方を、事務所の方にも「ああいうところは、取り入れた方がよい」と話してくださっていたという。

 僕が、いまの事務所を創立した際には、奥様が、お花をもって事務所まで来て下さった。

 水上先生からいただいた言葉で、忘れられないことは限りがないが、一番に思い出すのは、こんなことだ。

 水上先生から電話があった。
 事務所のスタッフのIさんが電話を受けて、僕に取り次いだ。
 僕に対する、水上先生の第一声はこうだった。

「近藤先生。
 いま、電話を取り次いでくれた彼女の応対はすばらしい。
 あんな応対ができる人は、めったにいない。
 うちの事務所に教えにきてほしいくらいです。
 ほめて上げて下さい。
 大切にしてあげてください。」

 水上先生
 本当に多くのことを教わりました。
 「士」業のプロとは何かを、先生に教わっていまの僕があります。
 ありがとうございました。

 安らかにお休みください。

 

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January 01, 2015

元旦の決意






 郷里の母をバリアフリーのホテルに外泊させるのがここ数年の恒例になっていたが、脚の力が弱ってしまい素人が怪我をさせてはいけないということで、今年はとりやめ。
 その代わりに、母がお世話になっている「こころの丘」を、大晦日・元旦と訪問することにした。

 昨日は、午後数時間を一緒に過ごして、それから兄のところへ。
 兄はご近所の政義さん(←兄と同名)と昼から呑んでいて、僕たちが到着したときには、すっかりできあがっていた。

 それから、東京からネギと一緒にしょってきた鴨鍋。
 年末にいただいたお魚の粕漬け。
 娘がおばあちゃんのレシピに従って再現した「味ご飯」などをいただく。

 紅白歌合戦は、林檎ちゃんと中島みゆきくらいしか見なかった。
(サザンがサプライズででて『ピースとハイライト』唄ったんですね!!)
 
 そうこうしているうちに、息子とふたりで酒一升あけてしまった。兄は焼酎の湯割りを飲み続けていた。妻はワインを飲み、そのうち半分は僕が呑んだ気もする。。。

 よって、酔って、2014年の回顧を大晦日にはできず、元旦にする次第。
 それぞれの出来事の感想を書いていると終わらないので、事実のみを記す。

 私事としては。
 長兄崇雄が逝った。
 妻が、すっかり恢復して、多くのステージに立った。
 息子が、翻訳の仕事で、ほぼ自活できるようになった。
 娘が婚約した。
 ブログを書く回数が激減し、Facebookに主軸が移っちゃった。
 おかげで、すごく多くの旧交を復活させることができたが、引用と寸評だけの人になってしまわないようにしないと、と反省。
 
 仕事の上では。
 スケールにおいても、金額においても、質においても、本当にバラエティに富んだ案件をてがけた。
 その多くが12月に終結、あるいはその目処が立った。
 人事では、いろいろと苦労のあった1年だった。

 社会的には、とんでもない1年だったと思う。
 あの惨めな負け戦を美化し、大震災の教訓に目をつぶり、ひたすらダメな方向に進み続ける政権があり、そのことに国民の多くが「代わりがない」などという理由で「黙示の追認」をしてしまった1年。

 僕に運動を組織する力はないけど、ダメなものはダメと言い続けようと思う。
 場が白けようと、空気読めといわれようと、恩知らずと誹られようとも。

 それが元旦の決意です。
 
 
 

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