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April 21, 2015

44年ぶりの入院顛末(補遺)



4月18日(土)
腸の造影検査(お尻からバリウム入れてレントゲンを撮る〜苦しい)の日。
待ち時間に、検査技師の方と雑談。

「経験したことのない痛みがあったら、がまんせず、迷わず救急車を呼んだ方がいいですよ。
 がまんしている間に、胃に穴が空いてしまう人がいて、そうなると、あとが面倒ですから。
 今回は、よい判断でした。」

とのこと。

検査の結果、ポリープ「かもしれないもの」が何個かみつかった。ただし、食物残滓とか便の残っているものが写っているだけかもしれないので、内視鏡で確認しておいた方がベターだということに。

もう「負けて、参って、任せて、待つ」(野口三千三語録より)という心境で、また、この際、徹底的にあちこちみてもらえ、という国府弘子姐さののアドバイスも効いていて、よろしくお願いしますということになる。

この日は、外出許可をもらって家にかえった。
食事をして、シャワーをあびて、メイをなでなでして帰った。

4月19日(日)
この日は、月曜日の検査に備えて検査食。
食事の合間をぬって、自宅と事務所にちょっとだけ顔をだして、掃除かたつけをする。
なんか、このところ修行僧のような生活で、心がすがすがしい。
新緑の美しさが、とりわけ胸に浸みる。

4月20日(月)
午後3時まで飲まず食わず。
先日、穴をあけた修習生向けのセミナーの課題の採点・添削をする。

3時半頃から検査。
自分でもモニター見ながら、先生の説明を聴く。
自分でいうのもなんだけど、きれいな腸だった。
「あるとすればこの辺なんだが、、、、」
と入念に診て頂いたが、結局

「何もないですね! 終わり! 
 これだけきれいなら、あと5〜6年は検査しなくてもいいくらい。
 もういつ退院してもいいですよ!」

 ということで、検査終了。

 今日は、家族は岐阜の母を見舞いにいってくれているので、ひとりで荷物をまとめて家に帰る。
 夕刻、帰ってきた家族と近所のいきつけのお店で、プチお祝い。

 ということで、11日間の入院生活が終わりました。
 
 また、調子にのって回転数あげすぎないように、そろりそろりと元の状態に戻れるようにいたします。

 皆さま、ありがとうございました。

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April 18, 2015

44年ぶりの入院顛末(完)




15日(水)
すこしづつ元気になっているのを実感する。
夕刻には熱も下がった。

16日(木)
回診
熱もほぼ下がってきたし念のため腸の内視鏡検査をして、それで問題なければ退院にしましょう、とのこと。

夕刻、看護師さんにお願いして自宅へ2時間ほど帰りシャワーをあび、メイと少し遊んできた。

妻が「院内にシャワーとないんですか」と聞いたところ

「ありますが、あんまりきれいじゃないからご自宅が近いならそちらへ行かれる方が・・・(苦笑)」とのこと。正直な方たちだ。

でかけるときに
「一杯ひっかけてこないように!笑」とクギをさされる。

シャワーをあびて心からさっぱりして、ゆっくり眠る。
体は、活動もしていないし毎朝もらう3枚の熱いタオルで清拭しているのであまり気にならなかったが、水のいらないシャンプーってのをしても髪の毛がレゲエのおじさんみたいになってきていたのでありがたい。食事といいお風呂といい、あるべきものがふつうにあるのがありがたい。

17日(金)
朝、本日、秋田地方裁判所大法廷で、尋問デビューとなるTさんに激励メールを。
事務所から送られてきたドラフトに少し意見を書けるくらいに気力も回復してきた。

今日は検査前日とのことで、検査食。
量が少なく、夜は流動食のみ。

一日用事が詰まっていて、顔を出せるかわからないといっていた妻が「報告したいことがある」と、午後やってくる。

米国のフィアンセ・ビザを取得できて、渡米準備中の娘が、昨晩、友だちにお祝いしてもらったのはいいのだが、二次会場でつぶれて云々というはなし。妻は、お迎えやらなにやら大変だったようだ。
日本の治安がよくて、お店の方が親切だったのに感謝し「酒のみ2人の娘だから仕方ないよ」というようなことで終わる。

その娘が夜やってきて面会時間終わりまで話し込んでいく。
昨晩そんなだったのに、今日も別の友人とランチしてきて、タイカレー二杯たべたとかいっている。若いねえ。

夜、検査のための緩下剤を飲んで就寝。

18日(土)
緩下剤のせいで、眠りは断続的になってしまったが、身も心もさっぱりだ。
国民健保3割負担で、断食道場兼人間ドックに行ったようなものですな。

もう少ししたら検査に行ってくる。

この間、個別に、あるいはFBのコメントで「いいね!」で激励して下さった方々、ありがとうございました。それぞれの皆さんに個別にお礼はできないかもしれませんが、とても励まされたり、考えるきっかけになったりしました。

『44年ぶりの入院顛末』は、一旦、締めさせて頂きます。

ありがとうございました。

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April 17, 2015

44年ぶりの入院顛末(3)

いま思えば予兆はあったし、それに気づいてもいたのである。

1か月半ほど前から、毎朝する野口体操の際に、みぞおちの左のあたりにかすかな違和感を覚えていた。1ヵ月ほど前に、事務所内で週1回している案件進捗確認のミーティングの際に、みぞおちのあたりに痛みを感じて、2分ほど時間をやりすごしたこともあった。

しかし、違和感はかすかなものであり、痛みは一過性のものであった。
そして、それ以外においては不調はまったくなかった。
むしろ10年前の自分、ここ数年の自分よりも健康な思いがして、主観的には活気があった。
この好調に乗じて、これまで公私にわたってやりたくやり残していることをやっておこうと考え、さまざまなプロジェクトを立ち上げ、着手したりもしていた。

しかし、みぞおち左の違和感は気になる。
近くのクリニックに相談にいった。

Dr.「筋肉が痛いんですか、胃の中がいたいんですか?」
僕「うーん、そう改めていわれるとよくわからなくなりますが、、、体操の時にしか感じないということは、筋肉のような気もしますが、しかし、腹筋を鍛えたときの痛みとはまったくちがうので、中のような気もするし、、、」
Dr.「まあ、胃薬呑んで様子をみましょう」

しかし、お酒も食事もおいしくいただいていたので、この胃薬は飲まれることなく終わった。

率直にいうと、ここで僕はガンを疑った。
僕は「患者よ ガンと闘うな」の近藤誠さんの意見にシンパシーを感じていて、定期健診はあまりまじめに受けておらず、ただ不調・異常を感じたときには、早めにさっさと調べてもらう、ということにしている。昨年兄を肺がんでなくしたし、司法研修所卒業25周年の集まりではほぼ同年配のTさんが胃がんで急逝したことを知った。刑事裁判教官のN先生が「ガンは自分でも気づけるはずだよ」とおっしゃっていたことも耳に残っていて、ここはきちんと検査してもらおうと思った。

長年にわたり顧問を努めさせて頂いているドクターのK先生に相談して、先生が副院長を務められておられるG医院で人間ドックを受けることにした。

その場で知らされるデータの数値は喜ばしいものであった。
肺活量などは、同年輩の150%超えであるといわれ、美人の看護師さんからほめられもした。
胃の内視鏡の検査がおわると、その場で内視鏡医の先生から

「ごくごく軽い、治療の必要もない炎症の跡がありますが、ほかはまったくきれいです。
  生検の必要もありません。」

とのことであった。

いま思えば、ここでまちがいをしたと思う。
普段の僕なら

「データには表れなくても、症状はある。
 この《からだの実感》を大切にしなければいけない。
 では、何をどうすれば、、、」

と考え、実践したと思う。

しかし、この時は、その場で伝えられる各検査項目のよき結果に浮かれてしまった。

「これなら、もう少し加速しても大丈夫だ」というようなふうに考えてしまったわけである。

いま思えば、その時すでに、漢方でいう「気血の滞り」というようなものが胃に生じていたのだと思う。一番必要なのは、休息だったろう。TO DO LISTを整理して、捨てるものはすて、人に任せられるものは任せ、先送りできるものはして、時間にすきま風を吹かせてやらなければいけなかった。鳥のさえずりを聴きながら、ひねもすのたりのたりかな、という日をつくるべきだった。

しかし、僕はすでに立ち上げているプロジェクトを加速させることばかりを考えた。
手のかかる倒産事件も新たに手がけることになり、土曜日に出勤して関係者を説得し、日曜日も用事をこなし、月曜日の始発で秋田の工場へ向かって操業停止を宣言して従業員を解雇し、幹部社員を再雇用して事後処理の打合せをし、取引先を連鎖倒産させないようにさまざまな手を打ち、行き帰りの新幹線の中でもメールで指示を出し続けるというようなことをしていた。

こうした日々のなか、事務所のチームの食事会、懐かしい人たちとの会合、新しく知り合った魅力的な人生の先輩方からのお誘いなどが続き、普段の夕食ではありえない量の食事とお酒をいただくことが週に何度かあった。

そして、急激な気温の変化。
加齢。

僕のからだは、これらの要因をすべて受け止めた上で、4月10日に「休息宣言」をしたのだと思う。

自分の実感を大切にして今回のことを省みればそういうことになる。

ひとは自分の得意技で致命傷を負う。
一病息災の逆を地で行くような話であるが、忙しく暮らす方々には参考になることもあるかと思い、駄文を弄した次第である。

といいながら、まだ入院中に、朝からこんな長い文章を書いているのが体に悪いんだってば(( ̄∇ ̄)!

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April 16, 2015

44年ぶりの入院顛末(2)

13日(月)
朝、担当の看護師さんに、胃カメラを受ける自信がない、と訴える。
師長さんと相談して「では、キャンセルに」ということになる。
自分としては、ドクターを説得しなきゃいけないか、と思っていたが、ドクターは今日は病院にいらっしゃらないということで、師長さん判断で決まって、すっかり気が楽になった。
自分の仕事を省みて、依頼者に「なんでも気楽にいってね。クレームも含めて」っていうけど、なかなか、大変なことなんだな、と実感する。

この日は、司法修習生に対する講義を担当していたが、キャンセルせざるをえず。
大変心苦しいことになってしまって、東京弁護士会の事務局の方、代役の先生、事務所の柳田さん、預かっていた起案を届けてくれた妻などにも、大変迷惑をかけた。
このような事態が、あの3年間の司法研修所教官時代になくて、ほんとによかったと思う。

この日の午後くらいから、ようやくiPhone、iPad、Kindleなどをいじくる気力が、ほんの少し出てくる。
10分いじって、50分ぐったりっていうようなペースであるが。

本を読むのはつらいので、YOUTUBEで落語を聴く。
喬太郎、一之輔、小三治など。
亡くなった兄が最後のころ

「寝るときは落語を聴きながら寝るんだ。夜中に目が覚めてしまうと、また、落語。最高の導眠剤だ。」

といっていたことを、いやおうなしに思い出す。
これに限らず、健康を損ねて、兄のありようが自分の行動規範になっていて、時に会話している思いがする。

落語を聴いては、うとうと、起き出してはメールチェック、最低限の返事だけして、またうとうと、また落語、みたいな繰り返し。

夕方になってFBに投稿。FBに報告記事を。自分の不健康を投稿するというのも気が引けるが、ま、いいや、という気分。

本も読もうと思ってKindleで以前に購入していた林望先生の「謹訳 源氏物語1」を読む。
死ぬまでに読めるかな、どうかな、と思っていた、光源氏の物語にふれることができた。いまのことばでいえば、人妻趣味、のぞき、不倫、小児性愛、第1巻だけでも出ますなぁ。これを雅(みやび)に見せているのが、和歌なんですね。療養中に、ゆっくり、じっくり全巻読めたらいいなと思う。

14日(火)
回診。
三分がゆと軟らかいおかず(胃潰瘍食)なら完食できるようになった。
しかし、38度近い熱が下がらない。
抗生剤を変えて、木曜日に、退院の可否を判断しようということになる。
 
この深川T病院は、建物も設備も古くてお世辞にもきれいな病院とはいえないけど、スタッフの皆さんはみんな気持ちがいい人ばかりで、入室されるたびに軽口を叩いていくのが、いかにも下町の病院らしくていい。
 掃除のおばさんが、窓を開けるのにも、東北なまりで
「こご、空けてやろっか? ひさびさにいい天気だぞ。」

 別の人が
「拭き掃除にまいりました〜。とっても適当な拭き掃除で〜す。
 いいかげん、いいかげん。
 ちゃんとした拭き掃除はまた別にきまーす。」

 みたいな調子で唄いながら?掃除している。

 看護師さんもみんなやさしくしてくれる。

 和む。
 昭和ものの映画の登場人物になった気分だ。

(続く)


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44年ぶりの入院顛末(1)



4月10日 朝
なんとなく、胃のあたり違和感があり、遠くの方で痛みも感じる。
午前中の用事ははずせないのであるが、午後は、わがままをいわせてもらえば調整できる予定であったので延期させてもらうこととし、早めに家に帰って横になっていた。

しかし、眠ることもできずお腹の違和感は増すばかり。みぞおちのあたりに石を呑んだような心持ちがして、その石がだんだん大きく重くなる気がする。そうこうするうちに、痛みの輪郭がはっきりとしてきて、どんどん強くなってくる。あれよあれよという間に、いままで経験したことのない激痛となり、意識もかすんできた。家にはメイしかおらず、到底自力では病院までいける自信がない。自分で119番する。
次いで妻に電話する。この時は、すでに会話も十分にできないような状態で心配をかけた。かろうじて、メイをケージに入れることと、事務所に最低限の指示だけはして、救急隊の到着をまつうち、妻と救急隊、そして娘が相次いで現れた。

救急隊員の方の質問に答えているうちに嘔吐感が生じ、嘔吐。食物残滓はなく、透明な液体のみ。
みぞおちのあたりの痛みということで念のため心電図を取る。異常なし。

いきつけの病院はありますか、といわれるが、救急医療や入院に対応しているところはないで、ない、と答える。

希望の病院といえば、妻の両親がお世話になっている墨東病院だが、救急隊員の方が「あそこは救命の必要がないと返されちゃんですよね」ということで、結局、自宅からほどちかい、深川T病院へ搬送される。折しも雨。救急車に乗る際、冷たい水滴が顔に、手のひらにあたる。

問診、触診、血液検査、CT、途中でまた激しい嘔吐。

「結論からいうと、それほど心配はない。」

それがT院長の第一声であった。
血液検査の結果、白血球の増加はない。
原因は現時点ではなんともいえないが診断名としては「急性胃腸炎」ということになる。
脱水症状が心配なので「魔法の点滴」を4本くらい打つことを勧める。
そうすれば、明日の夕方にはよくなるのではないか。
なんなら、自宅へ帰って様子をみてもよい。どうしますか。

病院嫌いの自分ではあるが、自宅で一夜を過ごせる自信はなかった。
入院をお願いして、急なため3人部屋の真ん中のベッドに通される。
両脇の方は、もはや会話もできないお年寄りで、ひとりの方は胃瘻も施しておられ、ベッドの両脇から、そして室外から苦しげなうめき声、叫び声が一晩中聞こえた。
ずっと点滴をつけて横になっている。
嘔吐する、楽になりまどろみかけるとまた嘔吐の繰り返しで、ゆっくり眠れる時間はほとんどなし。下痢はまったくない。

翌11日(土)、二人部屋へ移動。事実上の個室。
相変わらず、嘔吐を繰り返す。
黄色い胃液ばかりだったが、夕刻、茶色く変わる。看護師さんの話では、胆汁が混じっているのでは、とのこと。
回診があって、まだ症状が治まらないなら、月曜日に胃カメラ撮ってみようか、といわれる。
実は、10日ほど前に人間ドックにかかって撮っていたし、現在の体力・気力では検査のメリットよりダメージが大きい気がしたが、それをドクターにいう気力がない。

13日(日)
この日の午前で嘔吐がほぼ収まった。
しかし、まったく食欲なし。
無理してもお粥3さじも食べられず。
水も受け付けず。

14日(月)
依然として脱力感、集中力の欠如あり。
事務所からのメールのうち報告メールと、判断の必要なメールを選別することも負担でならない。
報告だけのメールはすべて省略してくれるように、ふだん、判断を求められているケースもアソシエイツの判断でなるべく進めるようにお願いする。
ドクターは全がゆOKとのことだったが、食べられないので3部がゆにしていただく。
少しづつだが体力も集中力も戻ってきた感じがする。
しかし、まだ本をよむ元気もない。

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