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March 31, 2016

『手話を生きる〜少数言語が多数派日本語と出会うところ』 斉藤道雄



 何年かに一度、自分の固まった脳の外枠をバリバリと音を立てて広げられるような本に出会う。
 この本も、そんな本だ。

 著者は、元ジャーナリストでありながら、取材が縁で、ろう学校の校長に就任し、いまは理事長を努める人物。
 その学校「明晴学園」は、手話と口話のバイリンガル教育を進めている日本でほぼ唯一の学校。

  僕は、ろうの方々は、基本的に手話でコミュニケーションを取っているのだと勝手に思い込んでいた。
  ところが、日本のろう教育では、手話を用いることは基本的に禁止されてきた、という。

  ろう学校では、ひたすら聴者(耳の聞こえる人)に、ろう者を近づけるための教育が行われる。
  聴きとりは、唇の動きを読むことで。
  発音は、口のかたちを強制的につくらせて、発音させることで。
  
  しかし、完全なろうの人は、そもそも「正しい発音」を認識できない。
  認識できない音を認識するように読唇を強制させられ、認識できない発音を実現するために発語訓練を強制される。
  著者は、これを「アクロバティック」と表現しているが、僕には「原理的に不可能」、法律用語でいえば「原始的不能」な営みと思える。

 それだけではない。
 手話を用いることは厳しく禁ぜられ、ときには、手をしばり、叩くなどの方法を用いてまで、手話を用いることを禁じられていたという。ろうの両親が手話通訳を連れて、授業参観にきたら「有害である」として、通訳を排除された、というエピソードも紹介されている。

  結果として、ろう者は不可能を強いられることによる激しいストレスにさらされて感情を失い、また、知的な発達を妨げられる。

  そんな歪な教育が、日本だけでなく、世界中でまかり通ってきた。

  しかし、最新の言語学の研究によって、ろう者の間で自然に発生する手話は、体系的な文法を有するひとつの「言語」であるとの知見が示され、ろう教育の世界の潮流がかわりつつある。

  ろう者を、聴者に近づけるのではなく、ろう者自身のネイティブ・ランゲージである手話を第1言語として、それをきっかけに、第2言語としての日本語の読み書きを発達させようという試みが、行われはじめている。明晴学園は、そのさきがけ。

  著者の筆致は、その底に静かな持続する怒りを秘めていながら、あくまで冷静である。
  ある状態を少しでもよい方向に変えていこうとするために、人がとるべき態度・行動を教えられる。
  また、最新の言語学の知見にも、日本語手話の世界の豊穣さにも触れることができる。

  私の職場には、重度の難聴の者がいて、聴覚の障害に話題が及ぶことがしばしばある。
  そんなことから、興味をもって、ふと手に取った本なのだが、ことし一番の収穫だった。

  できうれば、ひとりでも多くの人にお読み頂きたい。

  購入はこちらから→『手話を生きる〜少数言語が多数派日本語と出会うところで』 斉藤道雄
 

     

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